なるべくまいにち

名古屋で暮らしてます

先日のライブを終えての振り返り

11/28は鑪ら場でライブでした。

 
ご覧いただいた皆様、ありがとうございました。
 
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ジョニー大蔵大臣(水中、それは苦しい)さんと写真撮らせていただきました。嬉しい。
 
***
 
昨日のライブの反省会。
以下の文章をかきかけたところでアップするのをやめてしまっていた。まだまだ色々考えたこと思ったことはあるけれど、一旦ここまでを備忘録として。
 
 
久しぶりにライブに出演した。ライブハウスに孤独部としてひとりで立つというのはいつぶりだろう。ひとり芝居「drawing: 」連作をほとんどやらなくなったのもあって、とても緊張していた。
 
今回はここ最近で一番緊張していた。というのも、今回は"芝居"ではなく"弾き語り"をやるつもりだったからだ。
 
そう、今回は弾き語りをした。これまでと、できあがったものに客観的にはそれほど違いはないのかもしれないが、やる側のじぶんとしては大きな差があった。これまではどこかで、「じぶんは演劇だから」という色モノ感に甘んじていたのかもしれない、はじめて対等に他の出演者さんと並べて、じぶんがどうかというのを強く意識した。(もっともそれは、出番がくる前までの話。舞台に上がるといつもとあまり違わなかった)
 
全部で5曲用意した。曲、という単位でいいのかわからないが、5つつくってもっていった。
といっても、完成されたものではなく、歌詞を書き、大まかなコードなどのイメージだけ用意し、あとは即興によるものにした。
メロディーをつけようとも考えたのだけれど、試しにやってみたところ、どうもメロディーがあると発語することばが死んでしまうのだ。じぶんの演劇作品のときのようなことばの出方にならなかった。
そこでメロディーをとっぱらったのだけれど、ライブの中では即興的にメロディーを持ち込むこともできた。反対にことばを発することに気が急いたのか、逆に叫びすぎてくしゃくしゃにもなってしまった。
とにかくこれは、あらためて演劇作品でのことばの扱い方について考える材料となりそうだ。
 
 
結果として思ったことは、"演劇作品としては新しい要素を取り込めそうだけれど、やはりぼくが弾き語りをやる必要はない"、ということだった。
単純に、ギター下手だし、演劇での持ち味が死んでしまうところがあるし、当たり前っちゃ当たり前だけど、別に何もぼくが弾き語りをしなくてもいいのではないか、ということだ。
 
作品の見せ方、演出として、やはり演劇に寄った方が性に合っているようだ。
 
それでも、音楽への憧れは止むことはない。高校のとき演劇部に入る前、音楽をやりたくてギターに触るようになった。あのときの憧れを、まがりなりにも十年経った今叶えることができてよかった。またそのうち、あらためて挑戦したい。