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なるべくまいにち

名古屋で暮らしてます

はなしことばでかいてみる試み

突然ですが、はなしことばでかいてみようと思います。

なぜ突然話し言葉でかこうと思ったかというと、最近読んだいくつかの文章のうち、すっと入ってくるものが、はなしことばだなあと思ったからです。

一つは平田オリザのインタビューのもので、最初から最後までおそらくとりおろしのロングインタビューでした。

「リアル」だけが生き延びる (That’s Japan)

「リアル」だけが生き延びる (That’s Japan)


Amazonにありました。これです。

あと、「演劇最強論」という、最近の演劇をまとめた本。これ、おもしろかったです。

演劇最強論

演劇最強論


これらの本の中身については、またそのうちかくとして。


はなしことばと活字

この本も、中に対談やインタビューがあったりして、比較的するするっと、こういう文章は読めるなぁ、と思ったのでした。

上に挙げた本じゃないんですが、インタビューだけじゃなくて、おそらく書いたであろう文章でも、するするっと入ってくる、読みやすい文章がたびたびあります。っていうか、最近の本を読むと、大抵そういう文章だなあと感じます。


これ、個人的にちょっと不思議なんですよね。

というのも、ぼくはあんまり活字を読むのが得意ではなかったんです。小さい頃から。あんまり本とか読む方ではなかった。

その原因の一つが、あの活字独特の文体だったような気がするんです。あ、これはあくまでじぶんの実感でお話しているから、それがどういうものか、具体的に示せと言われると困るんですけど。

とにかく何ていうか、あの本とかに書かれたことばのリズムが、すっと入ってこなかった。何度も同じ行を読み返していた憶えがあります。


それが最近は、なんだかぼんやりしていても、なんとなーく読み進められる文章が増えたような気がしています。
それは、ぼくの方が単純に歳をとったりして、抵抗がなくなっただけだったりするのかもしれないけれど。それにしても、最近目にする文章は、読みやすくなったなぁと、感じます。


はなしことばとネット

思うに、一つの要因は、ネットにあるんじゃないかと思うんです。
例えばこのブログというのもそうですけど、書いたことばが誰かの目に触れる頻度が、ネット出現以前に比べて、増したように思うんです。とはいえぼくはネットがないときの時代をあんまりよく知らないので、比較があまりできないのですが。これも実感として思うことです。

小さいころは学校のノートだったり、あるいは日記だったり書いていたんですけど、それを読むのはほぼ自分しかいなかった。誰かに読んでもらう文といえば、担任の先生と毎日やりとりすることになっていた交換ノートとか、学級日誌とか、あとほんのたまに書く手紙や作文くらいだった気がします。

それでぼくが中学か高校にあがるころ、携帯電話やパソコンが家庭レベルでも普及してきて、そこでメールやネット、当時は個人サイトをつくったり、掲示板やチャットで友だちとやりとりしたり、そういうことをするようになってようやく、じぶんの書くことばで人とコミュニケーションをするようになったような気がします。そのほとんどは、ときには相づちほどしかないような、短い文章ばかりだったように思います。


だからか、今もなんですけど、長文を書くということにどうも慣れない。書けば書くほど、どうも内省的になるというか、読む人に開けた文章にならない。今これが非常にコンプレックスです、個人的に。

そこでとりあえず、最近じぶんが読みやすかったことばを真似てみようと思って、今これを書いています。いやぁ、難しい。これはケータイで書いているのですが、いつもより打つ速度は速いです。ほとんど戻ることなく、ずずずと書き続けています。いつもだったら、ちょっと書いては戻って、言葉を直しちゃったりするんです。これはあえてそれをしていません。


はなしことばとはなすことば

はなしことばを書くといってこれをかいているわけですけど、別に本当に話しながらこれを打っているわけではありません。頭の中で喋っていることばを、なるべくダイレクトに書くよう努めながら書いています。だから、想像の中でしゃべっているにすぎません。
果たして厳密に、これをはなしことばというのだろうか。ときどきぼくは脚本をかいていて、それは演劇の脚本なので、誰かが実際に口にすることばなんですけど、書いたあといざ読んでみると、書いたとき描いていたリズムとはちょっとずれることが多いです。

本当のはなしことばって、もうちょっとことばにならない部分があると思うんですよね。「あー、」とか、「うん」とか。でもそれを文字にしちゃうと、たぶん読みづらい。それに、あえて入れると、たぶんあざとい。この文章でもさっき、「あ、」というのをそのまんま入れてみたんですけど、なんだかわざとらしいかもしんない。まぁわざとやってるんですけどね、ニュアンスを出すために。

だから脚本を書くたびに難しいなぁと思うのが、その辺のニュアンスだったりします。ぼーっと書いてると、脳内でしゃべってることばを書き起こしても、そういうのを漏らしてしまったりする。それにもし漏らさず書いても、後から読み返すときには、特にひとに読んでもらうときには、そのニュアンスがわからなかったりする。じぶんでもわかんないときありますからね。

だからはなしことばというのは、もしかしたら書きことばとは違って、多分に情報を含んでいるんだと思います。どちらがいいとか悪いとかっていうはなしではないんですけど。


ちょっといっぱいかきすぎたので、もう切りにしたいのですが、もう一つだけ。


はなしことばとビジネス書

最近のビジネス書を読むと、はなしことば的な文体で書かれているものが多いような気がしています。まぁ昔のビジネス書を読み比べたわけでもないので、これもあくまで想像の域を出ないんですが。
でもこれには驚きました。いつだったかはじめて読んだとき、大人の読んでる本だからさぞかし難しいんだろうなと思ったら、学生のとき読んでる本よりも読みやすかったんですから。

ああいうのって、本当に明快ですよね。読んでて思わずうんうんってなっちゃって、するするっと読み終えて、なるほどわかった!という気になっちゃって。そんですこしすると、すっぽり読んだこと忘れてるんです。あんなにわかった気になったはずなのに。不思議だなあと思います。

書いてて思ったんですけど、あれは一種のエンターテイメントですね。するする〜っと読み進めて、なるほどわかった!という気にさせて、すっぽり忘れられる。これって爽快なエンタメ映画とかに似ている。最近そういうのあんまり見ていないけれど、おそらく。

それがたのしくって読んじゃうんですかね。ぼくも本屋とか行くとたまに立ち読みするんです。最近はコンビニなんかにもありますね。びっくりするのが、あれ立ち読みでだいたい読めちゃうんですよね、それなりに厚みあるのに。

だからあんまり買うことはないんですが、でもやっぱときどき手にとってみちゃう。あれってすごいですね。マンガ本みたいだ。マンガよりあと残りがないし、役に立つ気がするから、なんかクセになっちゃうし。手にとらせるってのは今の時代デカいと思いますよ。あと最後まで読んでもらうっていうのも。最後まで読めなかったり、読んでも理解できないってのは、書いた方が悪いっていう見方される時代だと思うんですよね。


というわけで、なかなか最後まで読んでもらえない、飽きる文章しか書けないなあと、自分のブログを読み返して思うので、すこしでも脱却してみたく、はなしことばで書いてみました。どうだったかしらん。また明日にでも読み返してみて、じぶんがどう思うのかがたのしみです。


今日はここまで。最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。はなしことばだとこういうこともさらっと書ける。