なるべくまいにち

名古屋で暮らしてます

劇作についてぼんやり考えていること

最近、劇作というものに興味が沸いている。

今さら、である。高校から数えると10年も演劇をやっているのに、今まで劇作というものに関心をもったことがほとんどなかった。孤独部でこれまで何本も脚本を書いているのに、である。

理由は上手く説明できないのだけれど、端的にいえば物語にこれまで興味がなかったのだ。

これまでのやり方と課題

孤独部の作品は、極端に言うとノリと勢いだけで書いてきた。これまで短編が多く、わりと1アイデアで貫くことが多かった。どちらかというと演出先行というか、やりたいことが先でそれに沿って脚本を書くことが多かったので、いわゆる戯曲としては成立していない気がする。

今年は三本も長編(といってもどれも一時間ほどだが)をやった。長編を書けないぼくは短編集をつくるような感覚でこれら三本をつくっていたのだけれど、やはり長編となると1アイデアでは物足りない気がしてきた。いや、長編に限ったことではない。ここにきてようやく、上演時間をどう扱っていくかということに興味がわきはじめ、そこから次第に物語に興味を持つようになりはじめた。

昨日ブログに書いたが、最近映画を立て続けに何本も観漁ったのは、そういう理由だった。


最近みた映画7本の、予告編とあらすじと感想おぼえがき - できれば生で見てほしい


映画だけでなく戯曲も読もうということで、図書館で戯曲賞セレクションを借りて読んでみたりもしたのだけれど、正直読んでいてそんなにおもしろくなく、二、三本読んだところで手が止まってしまった。もっとも、単にその二、三本が好みじゃなかっただけかもしれない。

劇作のまち、名古屋

名古屋は"劇作のまち"かもしれないと、最近気づいた。そういえば劇王(20分の短編演劇コンテスト)も劇作家協会東海支部からはじまったものだし、北村想や佃典彦など岸田國士戯曲賞受賞者も出ていたりするし、上の世代から下の世代まで、劇作に比重の高いところが多い気がしている。

そんなまちで活動してたり、周りの演劇に触れていると、やはり劇作を無視するわけにもいかない(当たり前か)ということに気づいた。大変今さらである。


そう思ったのは、先日の名古屋演劇杯の講評の影響もある。

審査員の方々からの講評をいただき、対象となった作品『平成』を、その言葉と照らし合わせながらあらためて振り返ったのだけれど、なるほど自分の反省点とほぼ合致していて、かつやはり人から言われると、ぼんやり自分の頭の中で考えているよりも説得力がある。ここをこうしてあそこをああして、という、上演前には気づかなかったあれやこれやをどう直したらいいのかが、わりと手ごたえのある感じで気づくことができた。

ひとからああだこうだ言われるのをこれまで無意識に、ときに意識的に避けていたが、これも大事なことだなという、これまた当たり前のことに気づく機会になった。

ドラマはゲームなのか?

とはいえ、果たしてそれでいいのか、という気もある。

もちろん定石を踏んだ上ではじめて外すことができるのだから、学ばない手はないのだが、それにしてもゲームみたいにつくられたドラマが最近多いなあと感じている。(ドラマという言葉が適切かは一旦置いておく)

もちろん煎じつめられているそれらの作品はとても美しい。のだけれど、ときにそういうわけでもない、ただ一般論的なセオリー通りに進んでいくドラマもある。そういうのに当たると、果たしてどこにそんなありきたりな話をわざわざ自分が書くモチベーションになるのかと、個人的には思ったりする。

もっともそういうドラマに出会うのは、最近のTVドラマとか、ライトノベルとか……と書きかけて思ったけど、どちらもぼくは最近触れていない。ライトノベルに関してはほぼ読んだことがないことに気づいた。果たしてどこで"そういうもの"の感じを覚えてきたのだろう。そしてぼくはそれらの感じを忌み嫌っているようだということに、今気づいた。(よく知りもしないくせに、こんなこと言うべきではないけれど)

パズルとか積みゲーみたいにドラマを積み重ねていって鮮やかにみせるのがときどきあるけれど、やはりそのやり方自体は手段にすぎないのであって、それよりもっと別に大事なことはあるように思える。(ちなみにそれはテーマとかでもない、もっと漠然としたものだと思う)その大事なものを見失っていなければ大抵おもしろい。反対に見失っていると大抵つまらないと感じる。

最近の流行りモノの匂い

最近の流行り物すべてにそういう匂いを感じる。繰り返しになるが、もちろんそういうのも煎じつめると美しいとは思うのだ。けれどこんなに巷に溢れてるのはちょっと不思議だ。分かり易いのも多い。それらは大抵、毒にも薬にもならず翌日には雲散霧消する。TVのバラエティとか2ちゃんのまとめとか、コンビニのビジネス書とかと同じ感じだ。

なんだか俗っぽい言葉を並べてしまった。それにしても、そんなつもりないのに、俗っぽいものが次々に自分に入ってきてしまう。俗っぽさを拭い去ることがぼくはできないタイプの人間だ。これとどう付き合っていくか、課題だ。

読んでる本

今日からこれを読みはじめた。

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)

小説の書き方となっているけれど、劇作など他にも通用する話が書いてある。かいている保坂和志は、以前「プレーンソング」を読んだことがあって、とても好きな作品だった。いったい何が書いてあるのかとわくわくしながら手にとったが、とてもおもしろい。「なにが小説か」という問いは、そのまま「なにが劇作か」にスライドして、ずっと考え続けていきたいと思う。

あとこれもパラパラとだけど読んでる。

はじめての劇作―戯曲の書き方レッスン

はじめての劇作―戯曲の書き方レッスン

これは、わりと具体的なドラマの構築法がかいてあるのだけれど、それよりも何より、冒頭がおもしろかった。

アート・ミラーが主張する、よい文章とは「ズボンのお尻を椅子に乗せること」であるというのも覚えておくといい。(p.9)

もの書きはとりあえず椅子に座れというのは、とても大事なことだ。試しに思いつかなくても椅子に座ってノートを広げて、闇雲に手を動かしはじめたら一つ書けた。


ごちゃごちゃ書いてしまったけれど、御託は置いておいて、一度勉強してみようと思う。