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なるべくまいにち

名古屋で暮らしてます

年末の考えごと

最近の夢は小説家と演歌歌手と大学教授になること、ということになった。

小説をかきたいと思うようになったのは、保坂和志の『書きあぐねている人のための小説入門』を読んだから。

別に小説をかきたいわけじゃなかったのだけれど、劇作の参考になるかな、と思ってこれを読んだら、小説というものに興味が沸いて、かいてみたいと思うようになった。ぼくはミーハーだ。


同じような理由で、演歌に興味がわいている。演歌なんて親がときどき聴いていたのを耳にする位だったのだけれど、最近つけっぱなしにしていたテレビから(おそらくテレ東だろう)演歌が聴こえてきたりして気になった。

そして、これも先日偶然耳にしたのだけれど、ビートルズ、特にその初期の曲はえらいキャッチーで、友人の話だとビートルズは当時バンドはカバーをやるものだったらしいところにオリジナルをやるバンドが現れたのが斬新だった、というような話をきいて、なるほど何故あんなにキャッチーなのかすこし合点がいった。

そこで気づいたのが、もしかしたらビートルズ(の主に初期の曲)は演歌と同じような形式美なのかもしれない、という考えに至った。なるほど曲の構成をみてみると、一行目二行目といわゆるAメロ・Bメロ的な流れがきて、三行目にサビがくる、そして一拍ほどのタメがあって最後の一言がくる。『LOVE ME DO』はまさに演歌とおなじつくりなのでは、なんて一人で考えておもしろがっていた。

そんなわけで妄想は膨らみ、演歌+フォークソングで現代の生活を切りとる"ネオ演歌"なるものをやろうというところまで考えた。まだ曲はできていない。

そういえば最近サウンドクラウドで即興ソングを何曲かアップしていたけれどここ数日やっていない。ブログも書いていなかった。それは10日きる位まで本番が差し迫っているミソゲキでの作品の稽古が忙しいとか、来年春の本公演の脚本をかき始めたとか色々あるけれどそれはあんまり関係がない。生活するのでいっぱいいっぱいなのだというのが正直なところだ。

忙しいというのは幸せにおいてときに罪悪である。ゆとりのない心は簡単に荒むしただでさえない時間の隙間をも奪いとる。散らかってる部屋と同様にそれらのものは簡単に、そして当人に自覚をもたらさない形で心の余裕というスペースを陣取り埋め尽くす。そうしてどこかで破綻するのだ、生活は簡単に壊れる。年の瀬になるとこの一年何を成したかなどとふと我に返って、その不甲斐なさに呆れ、大げさにいえば絶望し、だから人身事故が増える位には電車に飛び込みたくなるしあるいは酒の力で時間の経過を忘れようと、あるいは忘れてるうちに越えてしまおうと忘年会を敢行するのだろう、久しぶりに会う友人たちはそのためのカンフル剤だ。それ以上のことはないと、つまり今の生活で関わらなくとも支障はない位の距離感の人たちだ。かなしいけどぼくらはもうそれ位は年を重ねてしまったね。

三つ目の夢は実はずっと前から密かにもっている。ぼくは人前に立って教鞭を振るうようなほど人間的にも学問的にも何も成してはいないけれど、それでも教壇に立てと言われれば何か見繕ってきて喜んで話すだろう。何もないということを成してきたこれまでの人生の価値の一片が露わになる瞬間だ。舞台に立ち続けるのは、特に演劇の、ろくに舞台装置もない平坦な舞台を好むのは、つまるところ物語とか俳優の演技の質とかおもしろいとかつまらないとかそういうことではなく、ただ何もないということとどう向かいあって、それをどう露呈するのかあるいはさせるのか、ということだけに興味が向いている現れなのかもしれない、とこれもまたぼんやり行きついたひとつの考えだ。

演劇をなぜ選び、今も続けているのか、ということは他のいろんなことに目移りするたび考えさせられる。ぼくにとってはただ偶然曲がり角で鉢合わせた食パンを加えた女子高生みたいな存在で、ただそれに恋に落ちるのが必然であるように感じたからだったのだけれど、やはりあれは運命だったということにしようと言い聞かせている。それ位この十年という時間でぼんやり闇雲ながらに取り組んできたことというのは勝手に時間を吸って重みを増している。それはつまり演劇が上手くなったとかそういう話では全然なく、むしろ逆で、他のことを選択せずにここまできてしまったという後戻りのできなさだった。最近はそれに気づいてがっくりきている。ぼくはもう今更フィギュアスケートで金メダルをもらうことを夢見ることはできないし、甲子園に出場してグランドの土をもって帰ることもできない。ただそういう、年は積み重ねてあがっていくものではなくどちらかというと川のように高いところから流れ、幾つもの分岐で選んだ道を引き返すことはできないのだという、ただそれだけのことのように思えた。最終的にはまっすぐだろうとうねうねしようと海に、どこかの海に、流れ着くのは変わらないようだが。

後悔のない生き方をしようね、なんて言いたくなるような歳ではギリギリなくなってきている。いやもうとっくの昔だろうか、それともまだまだこれからだろうか。少なくともこの歳でまだまだ新しい夢を抱くぼくは見方によっちゃあ大バカもんかもしれんし、見方によっちゃおもしろく、そして見方によっちゃ当たり前のことだろう。

来年の抱負を考え始めている。というかひとつ決まった。ただ問題なのは、今年の抱負がなんだったのか思い出せないことだった。


書きあぐねている人のための小説入門

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