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なるべくまいにち

名古屋で暮らしてます

「思い出のマーニーマーニー」について

いよいよミソゲキが迫ってきた。


孤独部の作品、タイトルは『思い出のマーニーマーニー』。

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公式サイト(孤独部 [ kodokubu ] | 名古屋のえんげきユニット孤独部)に載せてたこの告知は、ヱヴァンゲリヲンのオマージュでつくってもらった。これをつくってもらった時点ではまだぼんやりとしたイメージしかない段階で、一年の"終わり"の作品ということでQの次回予告をイメージしたものになっている。

キャッチコピーはこちら。

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結果的にこの煽り文通りの作品ではあるのだけれど、勢いは真逆な作品になりそうです。その感じもある意味エヴァの裏切りに近いかもしれない、と考えて自分を納得させています。


ミソゲキは5年目、孤独部は毎年出させていただいてきたので、ぼくも5年連続でこのナンジャーレという名駅裏にある小劇場で年を越すわけなのだけれど、この、年末に上演する作品、ということを意識してかくと、なぜか華やかな方向にはいつもいかない。今回も最初の構想では激しい作品を描いていたのだけれど、いざ脚本をかいてみると真逆になった。

今回は特に、前回公演が終わってからいろいろ自分の方向について考えを巡らせていて、その中で、素直に自分がつくりたいもの・みたいものを突き詰めてみよう、という方向に思いっきりふってみることにした。
こんなことを書くといつもやりたいことやってないみたいなニュアンスに思われてしまいそうだが、そういうわけではない。ただいつもは、作品のイメージにあうものをいくつももってきてはそれから真似ぶ(≒学ぶ)ようにしていたりするので、今回はあまりそういうことを考えず、ただ手の動く方向に進んでみた、というわけです。

そういう意味では、ただ唯一、じぶんの過去作品の中でもとりわけ思い入れの強い作品を並べてみて、そこにある共通の要素は今作にも受け継いでみた。(ちなみにそれは、①初期の作品でミソゲキ一年目に上演した『壁』という男女の会話劇、②ミソゲキ二年目に上演した男四人の会話劇『生活』③ラジカセで男女の同じ会話を10回繰り返すという『晩秋』④男女の日常を男女5人が語り繋いでゆく『エアコン』の4作品。)

特に考えなしに、ただ手の赴くままに筆を進めた今回の作品は、現時点個人的にはなかなか気にいるものにはなっている。ただ、果たしてこれが他者の眼からみてどう受け止められるのか、そこに関してはやってみないとわからないような気もしている。

孤独部の単独公演などだったら、そういうことは多少薄まる。というのも、今回はミソゲキという、ショーケース的なイベントだから、おそらく観にこられるお客さんの好みも目当てもいつも以上にバラバラだろう。どんなもんだろうと思って観に来られる方にとって、やはり他と並べて観たときのインパクトはもしかしたら薄いのかもしれない。

というようなことを、上演前にもぼやぼや考えてしまう癖がある。やる前からそんなこと言うなよ、という自分もいるのだけれど、やはり演出としては(いつもなら)そこも計算に入れて考えたくなるし、作品のつくり手としてもせっかくなら多くのひとにたのしんで(という言葉が適切かわからないが。言い換えるなら、観てよかったと思って)もらえたらと思うのが性だ。

それでも今回は、あまりそれを深く考えこまずにつくってきた。ちなみにこれまでは、もうちょっとぶっきらぼうに、別にわかってもらえなくてもいい、という乱暴な思いが多少なりともあったことは今になると認めざるをえない。ぱっとの手ざわりは大きく変わらないかもしれないが、今回はそういう点でちょっとここ最近のじぶんとは違う。

そういう、周りとの比較をこれまでいつもしてきた。どういう場所なのかイベントなのか、どんな人と一緒なのか、どんな人が観るのか。そうやって上手く橋を渡ろうとしてきた部分があるのだけれど、結局つきつめると実はそんなことは些細なことでしかないときというのがあって、本当に記憶に残っている作品というのは、それを凌駕したところにある、ような気がしている。ここ最近じぶんの好きなものを並べて振り返ってみたりすると、やはりそれ位心に残っている作品というのはそういう性質のように思ったのだった。

果たしてこの試みがどう出るのかは明日のゲネプロ以降にまたぐるぐる考えることになるだろう。(ミソゲキはゲネプロで、出演団体さんがお互い見あうので、出演者としてはゲネプロからすでにミソゲキの幕はあいているようなところがある、と個人的に感じるところだ)


本当は作品の中身についてあれこれ書き留めておこうと思ったのだけれど、ちょっと違う話になってしまった。

今日みてきた石川泰昭さんのライブや、あとクラゲのDVDを観ながら、今回の作品が、ああこういう感じだ、と思えることができたのは、今日の、なんというか、一日の成果だったなぁと思う。


思い出というものが、共通の体験者でない限りなかなか思い出として再現されない以上、思い出というものはある意味とても役立たない不思議なものだなぁという思いが近頃あったりしたのだけれど、この作品を通じて、そんな個人の胸のうちにしかないただ唯一の思い出を、そっと取りだし眺めるような時間になればと思う。ただ静かに思い出のまにまに漂う、まるでクラゲをぼんやり眺めるような、そんな時間になればと思っている。