孤独部の日誌

名古屋とサウナとひとり旅

モノをもたない暮らしに憧れます

年末年始連休の終わり、やり残していた大片づけをした。

 
 
今年は紅白をすこし眺めてみたりもしていたし、年が明けてからは友人がおせちや雑煮を差し入れてくれたり(カニまでいただきました。ごちそうさまでした)もしたので、例年以上にお正月気分を味わいながら三が日を終えた。
 
それで、ずっとやりたいと思いながらやり残していた大片づけを、少しした。
 
 
クローゼットの中を思いきって片づけた。ふだんはごくたまにしか開けないクローゼットの奥底まで出してみると、自分自身忘れていたような服がいくつも出てきた。ちなみにクローゼットは小さいものだし、おしゃれに気をつかわないぼくはそれほど服が多いわけでもこだわりがあるわけでもない。そんなぼくがこんなに服をためていたなんて、と自分自身に驚いた。
 
高校生か、下手すると中学のときに買ったような服まで出てきた。よくもまあ今まで棄てられずにここまできたものだ。実家を離れてから二度引っ越しているから、まさかそんな服があるなんて夢にも思わなかった。
 
数年前の福袋に入っていた、一度も袖を通していないタンクトップや(袖がないけどタンクトップも"袖を通していない"で良いのだろうか)ロンT、そういう加工でもないのに膝がパックリ破れたジーンズが二、三本も、他にペットボトルのオマケでついてきたような小さな手ぬぐいまで、大事にとってあった。
 
自慢じゃないけど物持ちはいい方で、部屋で普段使っているものなんかはわりと長いこと使っているものも多い、気がする。年末のミソゲキでの作品『思い出のマーニーマーニー』では小道具でスーパーファミコンを出したのだけれど、本体もソフトも以前から持っていた私物で、今も現役で使えるものだ。小学生くらいのときからうちにあったものである。
 
モノを捨てるのにも抵抗があって、実家のときは母親に、しょうもないものまで大事にためこんでいたので大掃除のときよく小言を言われたのも憶えている。クローゼットに眠る服もその名残だろう。
 
今回は思いきって、というか自然に、捨てることができた。着そうにない服は着れそうでもポイポイ捨てた。おかげで溢れていた分は無くなって、三段の衣装ケースに全て収まり、若干余裕がある位になった。
 
すっかり存在を忘れていたカーディガンも出てきた。実は最近、肘のところが破れた、ボロボロのカーディガンを部屋着としてきていたのだけれど、それと全く同じ黒色の、破れていないカーディガンが発掘されたのだ。それを見つけるまでとんと忘れていたのだけれど、破れたからと買い直したものだったと思う。いらないものをためこんでいるといるものも埋れて見失ってしまうなぁと思わされた一枚だった。
 
その他、別の棚も少し片づけて、それほど大きくは変わっていないものの心なしか部屋がすっきりした気がする。気持ち的にも少しすっきりした。先日靴下をごそっと買い替えたので、伸びていたりあまり履いていなかった靴下もごそっと捨てて、足元もずいぶん快適になった。そういう変化がこれからは至るところで感じられるかもしれないと思うと嬉しくなる。
 
ひとつ困っているのが、ビンや家電など捨て慣れないものの処分だ。とっとと処分してしまいたい。
 
 
理想はいつだったか何かの本で読んだ、鞄一つでふらっとどこにでも行ける位だけのモノで暮らすことだけれど、なかなかそこまで行くのは大変だ。それでも今年は積極的に要らないモノは手放し、すっきりした生活を送りたいなぁと思う。