孤独部の日誌

名古屋とサウナとひとり旅

朝が苦手なのは昔っからのはずなんだけど……

朝が苦手だ。

 

それはもう、昔っから。

中学生くらいの時は、朝練というものがあって、文字どおり部活動の練習を朝するんだけれど、それがとても早かった。なにせ一限の前の時間だから、当然だ。

たしか朝7時すぎくらいからだったと思う。だから学校まで家からおよそ30分だったので、6時半ごろには家を出ていた頃になる。今くらいの季節だと日なんてまだ全くのぼっていない時間のはずだ。

 

6時半に家を出るということは、それより早く起きて朝の身支度を整えなくてはいけないわけで、朝ごはんもちゃんと食べ、排便も心がけていた当時のぼく、というかうちの家庭は、だから遅くとも6時か、うろ覚えの記憶だと5時半に起きていた。

今思うととんでもない生活だったような気がする。それで寒い中30分歩いて登校し、着替え、そして朝から運動をし、また着替え、朝の朝礼ののち授業がはじまるのだ。中学の時は、多い日は7限まであっただろうか。それでまた日が暮れるまで部活動に励んで、家に帰ったら宿題をしていたわけだ。

 

高校のときなんかもっと大変だ。

朝練、あるいは受験の時期になるとそれに代わって朝の補習があった。自分の通っていた高校は進学校だったのだ。その朝の補習は、「0限」と呼ばれていた。たしか0限はなぜか70分だったか90分だったか、とにかく普段の授業より時間が長かった。講堂のような大きな教室に集まって2,3クラス分まとめて授業をするのだ。

そののち例のように6,7限の授業があり、その後補習もあったような気がする。数学、英語、古典あたりから山のような宿題を出され、それを家に帰ってから、あるいは帰らずに自習室として開放されている教室に遅くまで篭って解いていた。

 

中学にしろ高校にしろ、そんな生活を送りながらも、部活動に励み、友人関係もあり、更には恋愛なんかもあったりしていたわけだから驚きだ。加えて音楽を回し聴いたり、自分はラジオにハマっていたときがあるから、ラジオも毎日欠かさず聴いていたりもした。テレビもある程度観ていたように思うし、ゲームやドラマやネットの話にも、ある程度ついていっていたように思う。体育祭や合唱祭という行事もあった。

 

いったい、どこにそんな時間があったのだろう。

毎日眠かった覚えがあるし、実のところ高校に入ってからは、宿題とか勉強はずいぶんサボっていた。でもカタチだけは取り繕うタイプだったから、ある程度はそういう姿勢でがんばっていたはずだ。我ながら、器用というか、そんな情報量の生活が送れていたのが不思議である。

 

最近はといえば、朝は家を出るギリギリまで寝ているし、家に帰ってからは特にこれといったこともせず、しばし時間をすごし、眠りにつく。それでも時間がない時間がないと日々思ってしまうのだけれど、いまこうやって学生のころのことを書き出していたら、ずいぶん時間があるように思えてきた。こんなに書くつもりじゃなかったのだけれど。

 

今日朝家を出て悶々と考えて至った結論が、「朝、一時間早く起きてその時間を好きなことに充てたら、一週間で7時間にもなるじゃないか」という発見だった。計算すれば当たり前だけれど、これは驚くべきことのように思った。なにせ一週間に7時間も、新たに自由な時間を手にできるのである。その発見を驚きとともに今日は書こうと思って書き始めたのだ。

それが、そんなことより学校生活のころの時間の使い方の方が驚きの方が書いてみてデカかった。今も学生さんはこんな生活を送っているのだろうか。朝練とか今でもやはりあるんだろうか。ちなみにぼくは中学はソフトテニス部で、別に強豪というわけではない。その最下位のあたりをうろうろしていたのがぼくだ。そういう奴でも朝練はあった。

いやあ、頭が下がる思いだ。

 

それにしても、朝が苦手だ。それはもう、昔っから。

それでも昔の自分はがんばって起きていたのだから、ちょっと今の自分もがんばって朝起きるようにしようと思う。

できればがんばらずに起きれるくらい、朝の苦手を克服したいところです。

 

 

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