孤独部の日誌

名古屋とサウナとひとり旅

はじめてライブハウスに行った日

ライブハウスに初めて行ったのは、中学だったか高校一年のときだったか、たしかそれ位のときだったと思う。

とある女の子に誘われたのだ。その子とは小学生のときから面識があって、同じクラスだったこともあったと思うのだが、格別親しいというわけでもなかった。だから今振り返ると、なぜあのときぼくを誘ったのだろうと不思議になる。それ以降も特にそれ以上親しくなることはなかった。

初めて行ったライブハウスは、名古屋は新栄にあるアポロシアターというライブハウスだ。今はアポロベースという名前になっている。ダイヤモンドホールの下にあるライブハウスだ。
そういえば昨年の夏くらいだったか、そこに行った。それ以外にもちょくちょく行っているのだけれど、それらのときとあのときは、若干印象が違った憶えがある。

はじめて行ったときは、ドキドキしていた。それは女の子と二人だったということもあるかもしれないが、それ以上に、未知の場所に行くというドキドキだった。
当時は名古屋まで電車で三十分ほどかかる郊外に住んでいたので、学校が終わったあとだったか、夕暮れの電車に揺られて名古屋へ向かったのだと思う。のちにその道程は通学路になるのだけれど、当時はそれだけでもちょっとしたお出かけだった。

ましてや新栄で降りるのなんて初めてに等しかった。新栄はライブハウスが集まるまちで、飲み屋も多いところ。着いた頃にはすっかり日も暮れていたはずだ。ドキドキした。


ライブハウスの入口でチケット料金を払う。1ドリンク制というのが謎すぎてビビっていたのを憶えている。
ご存じない方のために説明すると、チケット代とは別にドリンク代として500円支払う制度だ。この500円は、バンドや企画主催者ではなく、ライブハウス側の収入になるお金という内状があったりするのだけれど、もちろん15かそこらだったぼくには、なぜチケット代に含まれていないのか、よくわからなかった。(まあわからんよね。)

もちろんお酒を飲める歳でもなかったから、アルコールも置いてあるドリンクカウンターにさえドキドキしながら注文したと思う。

話が前後するが、会場内に入ったときに、ドキドキと興奮が一段と高まった。楽器やスピーカー、そして照明。今でこそライブハウスにときどき行くし、照明も見慣れてはいるが、当時はめったに、それもそんな間近に見ることなんてなかったので、それだけでもうワクワクしていた。ステージ上が輝いて見えた。

その日はアコースティックなイベントで、弾き語りが何組か出演するライブだった。なので座席も出ている。記憶が定かではないが、お客さんもそれほど多くはなかったように思う。

(このライブが最初だったからかどうかわからないが、ぼくはあまりお客さんの多くないライブハウスが好きだ。弾き語りのイベントのまったりした感じも好きだ。ドリンクチケットで引き換えたお酒をちびちび飲みながらぼんやり聴くのが心地よい。)

その日連れてってくれた女の子は、男の子二人組のフォークがお目当てだった。いったいあの子はどこでそんな音楽を知ったのだろう。とりわけ音楽好きとかそういう子でもなかったから、今振り返っても意外だ。

それで、ぼくはといえばそれとは別の、男女二人組のユニットに惹かれた。何曲かある中の一曲が強烈に印象に残って、ライブ終演後ぼくは物販でCDを購入した。
当時の小遣いで、チケット代も交通費も決して安くはなかった。しかしその上にCDも買った。そうさせるものがライブ会場にはあるのだ。そのときまで名前も顔も歌も知らなかった、もしかしたら一期一会の出会い。
たぶんそのときも一言二言くらいは、その出演者の方と言葉を交わしたと思う。いや、恥ずかしくて話せなかったんだったかもしれない。どちらにしろ、やはりこれはああいう小さなライブハウスでのひとつのたのしみだ。そのとき買ったCDは未だに持っている。

少し大人の雰囲気を味わったような気持ちになって、会場をあとにした。この頃はまだ小劇場には足を運んだことがなかったと思うが、場所自体にあれほどドキドキしたというのは、やはりライブハウスが一番な気がする。未だに知らないライブハウスに行くとドキドキする。そうさせるものが、ライブハウスには他より一層あるように感じる。


それからしばらくして、ネットでその、購入したCDのユニットを検索した。当時はまだブログではなかったような気がする。ホームページに更新される情報だけをときどきみた。まだ一人で(あるいはその女の子を再び誘って)ライブに行く勇気も、またそのお金も時間的な自由も、当時はなかった。

そうこうしているうちに気づくと、そのユニットは解散していた。


もう一度生で聴きたかったなぁ、と思う。そうして、ときどき思いだしたようにそのときのCDを聴いている。