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戯曲演奏計画『浮かんで漂う、』を振り返る

四月になっちゃいましたね。

先日の3月29日(日)、『戯曲演奏計画 vol.2』というイベントで作品を発表しました。 

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nagoyaman.hateblo.jp

 

今日はちょっと、振り返ってみたいと思います。半ば備忘録ですが。

 

今回、『浮かんで漂う、』という作品を"演奏"しました。
「戯曲演奏計画」ということで、"戯曲"を"演奏"するとはどういうことか、というのを、作品をつくるにあたってずっと考え続けていました。

イベント名にちなんで、「戯曲」「演奏」「計画」で振り返りたいと思います。

 

※ 出演してくれた、舟橋さんもブログに書いてくれました。
続々:我が逃走 戯曲演奏計画に参加した話。

 ※ 演奏してくれた、有我さんも。下の文に出てきます。

 

戯曲

まず、あらためて"戯曲"というのを定義するところから始めました。


戯曲、脚本、台本、テキスト……。類似のことばはいくつもあります。
果たして、"戯曲"とはなんなのか。

 

nagoyaman.hateblo.jp

 

行き着いたのは、「それ自体が読み物として成立するもの」ということでした。

いつもは、上演を前提に書いていたのです。演出も自らつとめることがほとんどのため、ときには配役もふってないもののこともあったり、ときには歌詞カードのような形だったりすることもありました。

テキスト"か、よくて"脚本"という言葉までがしっくりくるところだな、と感じていました。

 

読んだ時点で、読む人の脳内でその物語が立ち上がるようなもの。
念頭に置いて脚本を、いや"戯曲"をかくことを試みました。

書くにあたって特に意識することになったのは「ト書き」でした。登場人物の動作や入退場。これまでは脚本上に書き込まずに、実際に立ち上げる段階で指示していた部分でした。

また、書くにあたって平田オリザ「演劇入門」「演技と演出」をあらためて読み返した。

 

演劇入門 (講談社現代新書)

演劇入門 (講談社現代新書)

 

 

演技と演出 (講談社現代新書)

演技と演出 (講談社現代新書)

 

 

公開中の、ももクロが出てる映画『幕が上がる』の原作者ですね。

「現代口語演劇」という90年代以降大きく影響を与えている演劇理論があって、ぼくが立ち返るならやはりここだな、ということで、読み直し、わりとこれに書かれていることに基づいて書いた……つもりです。

先に登場人物の入退場を表にして書き、それから各場面を書いていっただけなのですが、先に中身をごちゃごちゃつめて書いたり、反対になんとなく書き出すよりもずいぶんと書きやすかった。

 

それでできあがったのが『浮かんで漂う、』でした。

 

余談ですが、タイトルが前日まで決まらなかった。

いつもタイトルが先にあって書くか、せいぜい大まかなイメージと共にタイトルは思いついていたので、そもそもタイトルをあとからつけることが珍しかった。

「浮かんで漂う、」が思いついてからも、点をつけるかつけないかとか、なかなかGOを出すのに悩みました。けれどやってみて、やはりこれでよかったかな、と。

上演前のアナウンスで言ってたんですが、「浮かんで漂う、◯◯」を想像してもらえたらな、という作品でした。

 

演奏

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"戯曲"ができて、ではそれをどう"演奏"するか。
これにもまた、四苦八苦しました。

 

"リーディング"という、読んで字のごとくホンを読むという上演形式で行こうかと考えていたのですが、ただ読むだけでは"演奏"とは言えない。いったいどうすれば演奏になるのか。

俳優さんに読んでもらい、また実際に動いてもらったりもしました。が、どうもしっくりこない。(それはそれでおもしろい発見もあったのですが)

 

そして、音楽をどう扱うのか。今回は野呂有我さんと一緒にやりました。

 

有我さんのレポート
Report - Yuga NORO's portfolio & announcement site

 

有我さんがかいてくれたこのレポートに詳しいのですが(とてもまとまっている……ありがとうございます)、戯曲をとっかかりに、もっといえば楽譜と捉えて、それを演奏するという試みをしました。

はたしてBGMと何が違うのかという問題にぶち当たるのですが、このように考えました。
BGMは「バックグラウンドミュージック」で、その音の多くは観客に作用することを前提にしているように思います。今回はそうではなく(もちろん観客にも作用するのですが)、物語の舞台に漂う空気を音で聴覚的に示し、それに観客のみならず俳優にも(意識的にも無意識的にも)影響を与えている、ということをしたかった。

今回のこの『浮かんで漂う、』の冒頭は、こんなト書きからはじまり、3度ほど繰り返し登場します。

 

三月の日曜日
天気 晴れ
気温 二十二度位

 

これに限らず、多くの戯曲はその最初に場所や時刻など、状況を設定するところから始まります。そしてその時点ですでに物語は動き出していて、特に今回のような、ある場所のみで物語が進行する場合には、作品全体を包み込む空気がそこに流れているように思えた。

今回はその"空気"を音によって前面に出し、その中を登場人物(俳優の声)が漂うようなイメージで、この戯曲を"演奏"することを試みました。

 

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舞台写真撮ったけど、やっぱりぼくの作品は暗くて映らない……

 

本当に試行錯誤を繰り返して、ゲネプロと本番で俳優の立ち位置を変え、二度の本番でも舞台美術の椅子と、照明の位置を変えました(俳優の演技も)。結果、夜の回では終わった後に、ぼく含めメンバー全員が何か手応えを感じていたようでした。

 

計画

今回、出演予定だった俳優さんが一名急遽出演できなくなり、代わりにスタッフとして加わっていた吉村さんに出演してもらいました。当日のアナウンスとなり、申し訳ございませんでした。

作品発表自体は、つつがなく行うことができました。が、反省です……。

 

今回の"演奏"は、このメンバーによって成立したものなのだなということを、強く感じました。最終的に形になったものの、実は前日の段階では「これは果たしてできるんだろうか……」という壁にぶち当たっていました。

 

メンバーが違えば、今回なら例えば、音が違ってくる。

音がひとつ違えば、アンサンブルが変わってくる。

 

これまで、各メンバーとは一緒にやったことが何度かありましたが、このメンバーでチームを組んでやるのは初めてのことでした。回を重ねるごとに、時間を経るごとに次第にチームとしてのアンサンブルが成立していったようにも、やっている側として目の当たりにしました。

集合写真を撮っていなかったので、MJさん(写真左上)のツイートを拝借。

 

『浮かんで漂う、』は、軽音サークルのバンドの話でした。会話の中では、次のライブが最後であることがほのめかされています。メンバー同士は付き合いが長いのか、その会話はツーカーです。演奏の上手い下手どころか、どんな音楽をやっているのかもわかりませんが、そこにはこのメンバーのアンサンブルがあるように思います。それは実際のバンドでも、あるいは劇団などでもあるのでしょう。

 

いい悪いの話ではなく、そのアンサンブルが成立しているということ。そのことについて、あらためて思わされるところのある機会でした。

 

ご覧くださった皆様、ありがとうございました。

 

せっかくだから、今回の戯曲もなんらかの形で公開したいなぁ。

 

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次はいよいよ、5月に本公演です。

孤独部 第散解公演 『大学生』。

フライヤーも完成しまして、いよいよ情報公開しますので、おたのしみに。

 

kodokubu.net