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なるべくまいにち

名古屋で暮らしてます

「冬の花火」終演しました

冬の花火」終演しました。
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ご覧いただいた皆様、ありがとうございました。

太宰治のかいた戯曲、「冬の花火」。こんな企画でもなければ知らずにいただろうこの作品に取り組むことができて、とてもよかった。このタイミングでできたというのもピッタリだった。
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パンフレットに掲載した文章をこちらにも載せます。

----------「冬の花火」の舞台は、太宰自身の故郷である津軽。“田舎の人たちったら、馬鹿だわねえ”と言わせる太宰にぼくは共感します。

ぼくは先日28歳になったのですが、そのほとんどをここ愛知で過ごしてきました。ずっと名古屋は都会だと思っていたのだけど、そうではないと最近ようやく気づきました。

ぼくが物心ついてからだけでも大きなニュースはいくつもあったけれど、その舞台のほとんどはここではなくて。ぼくにとってはどれも画面越しの出来事でしかなかった。画面を隔てれば、戦争も停電も不倫も、生身の隣人のつぶやきも噂も、つくり話と同列で映るようになった。

この戯曲は終戦後はじめての冬にかかれたらしいです。それからちょうど70年。ユートピアはつくれたんでしょうか。2016年のぼくたちは、冬どころか年がら年中、線香花火みたいな灯りを見つめながら、何か良い知らせが来るのをただひたすら待ち望んでるだけのように思えてならない。
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今回の作品では、戯曲リーディング公演ということで、台詞自体には基本的に一切手をつけず頭から終わりまで読みました。
その分、台詞以外のところで演出であるぼく自身の解釈を反映させようと、ト書きはほぼ無視したつくりになっています。
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"スマートフォンの灯り"を"線香花火"に見立てて、ところどころでスマホの灯りでぼんやり俳優の顔を浮かび上がらせながら。70年前の太宰の思いを、現代に接続しつつ、より現代に生きるぼくたちの腑に落ちるものに解釈を拡げる試みでした。

今回、ぼくの中でイメージソングになっていたのはこの曲。
うみのて「New War (in the new world)」。この歌詞で歌われている"新しい戦争"を考えたとき、「冬の花火」は過去の戦争の話ではなく、これから先の未来の話として受け止めることができた。
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今回の作品でぼくが注目したのが、この話が"東京と田舎"についてのおはなしだということ。

ぼく自身の東京への憧れはもちろん、出演してもらった真臼ねづみさんは公演後に東京行きを発表、岩男さんは東京からこちらへ帰ってきていたり。
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ここ最近ひしひしと感じている、"名古屋は田舎"という思いを、まるで太宰が代弁してくれたかのような思いにこの戯曲を読みながら駆られた。

余談になるけれど、ぼくは名古屋で演劇活動を続けていこうと考えている。名古屋で続けようと考えたときに、果たしてどういうアプローチを今後していくのか、この一年くらいはずっと答えが出ず考えたり試したりしている
(団体化もその一つ)。

いろんな選択肢があると思うのだけれど、今回の作品をつくりながら、やっぱり現状を変えたい、いや、変えたいというよりあたらしくつくる必要があると感じるに至った。

まだ具体的にどうというわけではないのだけれど、姿勢としてはそういう気持ちで臨んでいくというのが、ぼくがとりたい姿勢なのだと、今回の作品に取り組みながら気づけた。

またその話はいずれ。

今回の作品を観てくれた方に、何か残るものがあれば嬉しいです。ご覧いただいた皆様、ありがとうございました。

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