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なるべくまいにち

名古屋で暮らしてます

代役をやってみての発見

先日「まにまに」の稽古で、代役をすこしやった。ただ台本を読んだだけなんだけど、かなり発見があった。

人の台本をしばらくやってなくて、自分のかいた台本や最近はバンドでの詞(?)ばかりなので、自分以外の人の書いたセリフを言うっていうのが久しぶりな感じがした。



自分のかいた台本には、書いた自分のイメージがあらかじめありがちなのに対し、他人のかいた台本はそれがないので、まっさらな状態からことばと向きあってイメージをつくっていく、という過程が生じる。

これがけっこうおもしろくて、書かれてあることばからどうイメージを広げていくかはいくらでもいろんな方向に行ける。自分のテキストを自分でやってる分にはなかなか気づけない広がりみたいなものを感じた。

※当然誰がやるかでも全然ちがって、本役であるぶんちんちゃん(後藤さん)がやるのとぼくがやるのではそれだけでもう、全然雰囲気がちがう。


ほんのすこし適当に動きながらやってみたんだけど、動いてみるとただ読んでるとはちがった方向にイメージが広がっておもしろい。
「わたし」のからだがここにあって、と具象としてそこに"ある"ことになるので、「あっちの方に〜」のあっち、も具体的な方角として立ち上がってくる。すると空間が生まれる。ことばと場所の接続点としてじぶんのからだがあるような感じになる。


その稽古では、ただ途中まで読んだだけだけどけっこう疲労感があって、やり終わったあと、なんだかからっぽ感があった。さっきまでじぶんのからだの中や外側にあったものが今はない、というぽっかり感。じぶんのことばのときはあまりそれを感じない気がする。俳優と乞食は一度やったらやめられない、みたいなことばがあるらしいけど、俳優の病みつきになる「感じ」って、あの独特のぽっかり感かもしれない。




まにまに「宇宙の底、雨にかくれる」


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6月25日(土)吹上・新世界スタジオ(名古屋)

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あと11日で公演日です。