孤独部の日誌

名古屋とサウナとひとり旅

久しぶりのサウナ

久しぶりに銭湯に行った。

 
冬場にハマって、何度も行ってたけど、最近はご無沙汰だった。その頃いくつか銭湯を巡ったけど、うちから徒歩3分くらいのところがマイベスト銭湯になった。
 
今年の夏は今のところ比較的調子がいいと昨日もかいたけど、それでもやっぱり疲れがからだに蓄積しているような感じがしていた。徒歩3分のところにあるけど、そこまで行くのもなんだかだるく感じていた。
 
今日、勢いで買った本が家に届いていて、それを一気に流し読みしたらなんだかモチベーションが高ぶってきて、「これは今日、一旦リセットしよう、そういう時間にしよう」って思い立って、銭湯に向かった。
 
 
体を洗い、ブクブクとなってる湯船に浸かり、慣れたら今度は、温度高めの湯船に浸かる。そこで一旦脱衣所に戻って水を飲む。以前からのルーティン。
 
そこから今度はサウナに向かう。一回目はあまり長くいられない。出ると水風呂に浸かる。ボーっと、心地よくなったら冷水からあがって浴槽のふちに腰かける。このときにはもう、距離感とか感覚が普段とはだいぶ違ってきていて、目の前にはサウナ室の壁があるんだけど、その距離が、実際には手が届くほど近いのに、遠く感じる。「ああ、この感じこの感じ」と以前の感覚を思い出す。
 
今日はそのルーティンを、以前と同じく4回ほど繰り返した。途中で温度高めの浴槽も挟む。こうすると、手や足の末端の血行が良くなる感じがするのを、以前発見していた。
 
そして最後にもう一度湯船に浸かり、体を洗い、終了。脱衣所でパンイチで休んで、服を着て、外に出る。
 
 
外に出ると、不思議と外の匂いがわかる。あれは冬だからだと思っていたけれど、夏でもわかった。鼻の奥がなにかを感じているのがわかる。普段なにもないと思っている空気中に、埃なのか花粉なのか何なのか、とにかくなにかがある、漂っているのだ、ということがわかる。
 
ふらふらと歩きながらうちに帰る。行きとは全然違う世界みたいに感じる。これからのこと、思いつめて凝り固まっていたような事について、いいアイデアやイメージがふとわいてきた。こんなに、こんなに違って見えるんだなあ。びっくりした。
 
からだの状態というのは、けっこう大事だ。じぶんの世界を認識しているもの(デバイス?)は、このからだでしかない。だからたまに労ってあげる必要がある。
 
 
話が前後するが、銭湯滞在の終盤、冬場によく顔を合わせ、一、二度話したおじちゃんが現れた。たぶん、ほとんど毎日来ているんだと思う。ぼくが来てなかった間もずっと。ことばこそ交わさなかったが、なんだか嬉しかった。
 
 
これからは、たまにまた銭湯に行こうと思った。