孤独部の日誌

名古屋とサウナとひとり旅

今更ですが「コンビニ人間」読んだので感想

先日、「コンビニ人間」を読んだ。

 

コンビニ人間

コンビニ人間

 

 

読もう読もうと思いながら積ん読になってた。読みはじめたら150頁くらいしかなくって、2時間くらいで一気に読めた。映画みたい。読みやすくてどんどん読み進められた。

 

読んではじめの感想は「上手いなぁ」だった。無駄がない。人物の紹介をしつつ物語が動く、みたいな(?)、一文で二度おいしいみたいな状態がずっと起きてる気がした。とても練られていて、余分をカットされてる印象。その分、描写一つ一つがきちんと力強く感じた。

全体の構成も同様で、振り返ると適切な順序で無駄なく一筆書きしてるみたいな、美しいシーン構成。ラストも勢いよく幕切れを迎える印象で、あと味がさっぱりしてる。

 

読んでから数日経ったんだけど、印象に残ってるのが、繰り返し出てきた「縄文時代から〜」と「ムラ」というワード。

現代社会が縄文時代から何も変わってない、というのは作中で描かれてる人間関係からも、また現実での自身の周囲のことを省みても「その通りかもなぁ」と思う。仮に自分が都会に住んでシティボーイな生活(?)を営んでいるとしても、結局のところ昔の村と一つ一つのコミュニティの在り方っていうのは全然なにも変わってないんだな、ってあらためて気づかされる。

 

コンビニ人間」ってタイトルが見事で、先にかいた一文で二度おいしい的に、

  • コンビニを生きがいとして生きている人間(主人公のこと)
  • コンビニそのものが人間のよう(入れ替わる細胞のたとえとか)
  • 単に、コンビニの人たち
  • 周りの人たちがコンビニのよう(おんなじに見える)

……とか、二度どころかいろんな角度から"コンビニ人間"だな〜って思う。まさに「名は体を表す」って感じで、タイトル含め隙がないところまでつめてある印象。

 

しいていえば、もう隙がなさすぎて息苦しい!(でも読んでるときは不思議と感じなかったな)なんだけど、有無を言わさず「現代ってこうだよね」を突きつけられた感じで、ぐうの音も出ないぜ……って思った。

 

 先日かいた、岸田國士戯曲賞(「演劇界の芥川賞」と呼ばれている戯曲賞)の上田誠「来てけつかるべき新世界」のことを思いだす。

こちらも巧みだと思ったという点で共通していて、芥川賞(/岸田賞)ってこういう感じなんだっけ?って思った覚え。やっぱり突き抜けるほど巧みだと関係ないみたいですね。

コンビニ人間」が現代(コンビニ)を通して、昔っから変わってないという目線なのに対して、「来てけつかるべき新世界」が昔(昭和の香りのする吉本新喜劇調)を通して未来予想図を見つめたっていう対比?が個人的におもしろい。

 

 

 最近の流行り物、何みても「上手いなぁ」って感じることばかり。J-POPもドラマもアニメも、練りに練られて煎じ詰まったものが、涼しい顔して出てくる……みたいな感じを何みても受ける。すごい。きちんとコンプレッサーかかってる音!みたいな粒ぞろい感。

よくわかんないモノとか、想像の余白が楽しめる、みたいなものにあんまり出会わなくなったかも。そういう時代なのかな?淘汰されてるのかな。

(そういうものばかりを自分が選択してるのかもしれない……?)