なるべくまいにち

名古屋で暮らしてます

「飲めたらいいんだけどなぁ」っていうのに近い感情

人にあてられる、ってことあると思う。

あて・られる 【当てられる】
①男女の仲の良さを見せつけられる。 「新婚夫婦に-・られる」
②害を与えられる。体にさわる。 「毒気に-・られる」 〔普通仮名書き〕 

あてられるとは - 活用形辞書 Weblio辞書

 ②の方の意味で。別に悪い意味ってわけではないのだけど、じぶんと大きく価値観の異なるひととうっかり話していると価値観と価値観がこすれあって摩耗する、って感じがする。そういうとき、たぶん相手は摩耗なんて感じてないのだけど。

思えばそんなことは学生の頃はいくらでも起きうることだった。小中なんて学区内に住んでる同い年が集まってるだけだから、親がどんな人かなんて千差万別だっただろうし(その地域に住んでる、という点での共通項はあるだろうけど)、2ケタにもいかない年齢の子どもの自我なんて親がその形成の大半を担ってるといってよいのでは、ということを冷静に考えられるようになったのはじぶんもこれだけの年齢になってからのことで、小さい頃はそこまで頭が回らなかった。たぶん偏差値高いやつはそこまで気づいた上で高校・大学を選択していたんだな、ということを今になってぼんやり思う。ぼくは馬鹿だった。勉強ができないという意味ではなく、世間というものをわかっていなかった。尾崎豊とか聴いてたからだろうか、なんとなく学歴ってことばに汚らしいというイメージさえ持っていたあの頃のぼく。ああ恥ずかしい。もうちょっと勉強しておけばよかった。学力という意味でなくて、世渡り的な。

話を戻すと、学生の頃はいつだって違う価値観の人間たちとの共同生活だった。毎日別人種な人間たちと顔を合わせてすごすわけだ。大人になってからは、なんだかんだで職場やコミュニティによって人種はわかれるし、嫌なら辞めたり抜けたりして合うところをさがすことができる。しかし学校という環境は離脱が難しい。いま振り返るとよくみんなやっていたな、と思う。スクールカーストというのは、子どもたちが誰に教わるでもなくつくりだした自己防衛のやり方だと思う。

大人になると別人種とばったり出会う、という機会は減る。職場含めつきあう人間がジャンルわけ、クラスタわけ、カーストわけされている。まぁ仕事にもよるだろうけれど。もっとも仕事ならビジネスライクになるので、学生の頃みたいに「ただ共に時間を過ごす」なんてことはしなくて済むだろう。別人種と仕事でもないのに付き合うのは、精神的に負荷が高い、コミュ下手な人間には。10年前の自分は比較的できていたが、今となっては年々がんばれなくなってきている。

先日とある初対面の人とほぼサシで話す機会があった。ほとんど聞いてるだけだったのだけど、その人の話の登場人物たちの住んでる世界が自分とは違っていて、なんだかピンとこなかった。別に想像もつかないような変わったひととかが出てくるわけじゃないんだけど。最近よく見るアニメの方がよっぽど共感できた。それは別にアニメよりその人の話が別次元だったとかそういうことではない。たぶんアニメは心のどこかでフィクションだと分かってるから大丈夫で、その人の話は自分の住んでる現実と地続きにある(それも同じ名古屋市内で起きてる)話だというのが飲み込めないからなんだと思う。

じぶんと異なる価値観(価値観っていうか、考え方かな)の人の話にふれると、ぼくは嫉妬や羨みみたいな気持ちを感じる。そういうのにも憧れたことがあった、という気持ちを思い出す。まだどこかで憧れてるんだと思う。そしてじぶんを比較して、なんとなく落ち込む。自己肯定感がうすいのだろうか?自意識は年の割にまだ過剰な方だと思うが、自尊心とか歪んでるのかも、なんてことを最近ふと思った。もっとも最近はこういう自意識過剰なことを考える機会は減ってきた。年をとった。全然関係ないけど、最近お酒がガクっと弱くなった。じぶんよりうんと年上のひとが自分なんかよりガンガン強い酒を飲んでたりして、謎の劣等感をかんじる。なんか、上の話で感じる感情はそれに近い。

別にお酒はもともと飲み会以外ではほとんど飲まない。人と会ってるときに飲めたら便利、くらいの感じ。この「飲めたらいいんだけどなぁ」っていうのに近い感情。

 

 

 ぜんぜん関係ないけどプレミアムモルツって大活躍してるよね。飲み比べしてないからわかんないけどやっぱりプレミアムにおいしいんだろうか。

「せっかくだから今日は家で一本だけ飲もう」って思ったときにプレミアムってついてると嬉しいのはたしかだ。ネーミングって大事。