孤独部の日誌

名古屋とサウナとひとり旅

お題でとりとめなくかいてみる

なんか書こう、と思ってブログを開いたら、お題で「『選択』と『年齢』」ってのがバコッとポップアップしてきたので何となく書くことにした。

SK-ⅡのCMを見る(下にあるやつ)と、1987年生まれの、つまり今年30になるひとの内容だった。ぐさりと刺さる。じぶんも今年30だ。同い年。

なんかびっくりしたのが、日本じゃなくて韓国のひとで、同い年なのにあんまり同い年感がないっていうか。たぶん文化の違いでファッションの流行とかも違ったりするからなんだろうなぁって思う。

 

年齢、つまり"30"という数字にとても節目のような思いを無意識のうちにもってる。最近よく人と話す中でも口にしてしまう。「あ、そんなに意識してたんだじぶん」って驚く。30ってもっと大人だと思ってた。20になったときにも思ったけど、30でもやっぱり思った。

20のときはお酒飲めたり免許取ったり夜な夜な遊んでみたり遠出をしてみたりと、それまでできなかったことをいっぱいできるようになったから、振り返ればけっこうちゃんと20になれてたな、なんて思う。はたして30になれるんだろうか、って今は思っているけどきっと越えてから振り返れば意外となれてるもんだとやはり思うんだろうな。現にすでに大学生をみるとまぶしく感じるようになった。まだまだ学生と対等に話せる、なんてちょっと前まで思ってたけど、いつの間にか「若い子」と思うようになったし、距離を感じるようになった。相対的に"おっさん"になった、と自覚することが最近多い。髪にハリがなくなってきてシャンプーをすこしだけいいのに変えることにした。

 

そうそう、「選択」だった。じぶんは選択からずっと逃げてきた。自分の意志で選択することから逃げてきた。いや、逃げたつもりはないんだけど、選択肢を前に「選択するかしないか」でしないを選択するようなひねくれ方を頻繁にしてきた。

今日の昼ごはんも休日の予定も、進学も就職も趣味活動においても。選ぶときにはほとんど必ず消去法で選んでると思う。あれはダメ、これは無理、こっちはよくない、あっちはまあまあ。じゃあ最適解はこの「まあまあ」だな、という具合に。

タイム・リミットが迫れば選択肢は減る。それもよく利用する。空席チケットは時間とともにどんどんなくなる、気づいたときにまだ残っていたらラッキー、残ってなければ縁がなかった。そう思えば"仕方ない"と割り切ることができる。だって悔やんでももう手に入らないのだから。

 

本当にほしいものなんてあったんだろうか。選択を避けて避けて避けてもうすぐ辿り着く30、これまでの選択が今を形づくってるんだとすれば、選択しないことを選択してきた、いや、選択しないということを消去法で選択するしかなかった半生だった。最近そんな過去を反省するけどもう20半ばをすぎると性格は変わらないなんて話を先日ネットニュースで見たからヘコんだ。なんとなくネットを見てぼんやり信じちゃうくらい選択をしていない。

動画の最後に「誰かに決められた期限なんてない」って出てた。中学生くらいの頃はロックスターに憧れるので、27には死んでるかもな……と思っていた。生きている。思い出したら死ぬほど恥ずかしい。

なんだかエモい文章がかけた。こういうの、明日になったらぜったい恥ずかしくなるってわかってるけど、なんだか中学生くらいの頃の気分を思い出せるので最近たまにひとりでやってる。恥ずかしい。