孤独部の日誌

名古屋とサウナとひとり旅

今年の年明け

今回の年越しは、たぶん初めての一人きりの年越しだった。

一人暮らしをはじめてからは、劇場で年を越したり、そうでないときも友人に誘われて外出したりしていた。その前は実家だったから、家族と過ごしていた。

大晦日はほぼ丸一日引きこもって作業していた。22時を過ぎたあたりでさすがにもうダメだとなった。TVをつけてないと大晦日の空気は部屋にゼロ。ツイッターのタイムライン上にだけ年末の空気が流れていて、むなしくなった。

それで、仕方なく家にあったウイスキーどん兵衛、それとお菓子をつまみながら紅白とかテレビのチャンネルをぽちぽち替えながら年を越した。

年明けからやっていた「ねほりんぱほりん」を見始めた。ちゃんと観るのは初めてだった。ネトゲ廃人サークルクラッシャー、ヒモ、人形劇の舞台裏。

入りは"変わった人の話"なんだけど、掘り進めるうちにその動機、根源的な話になって、そこに共感があった。なんだか一人で正月を迎えるような人間には涙が出そうな台詞にも出会えた。とてもよい番組だった。

人形劇の舞台裏もおもしろくて、やはりクオリティの裏側には時間と労力と技術による裏づけもきちんとあるのだと感じた。

 

2018年になってしまった。年越しを迎える直前にツイッターに流れてきたARuFaさんのタイムトラベラーを本気で信じたいと思ってしまった。まだ年を越える心持ちができてないのに越えてしまった。まあ毎年そう思って、三が日も過ぎればそう思ってたことも忘れてしまうのだけど。年々時間が経つのが速く感じる、最近は速いとも感じなくて、あれ今いつだっけ?みたいになる。今年は2018年って言われるより平成30年って言われるほうがズドンとくるものがある。あの頃の未来に来てしまった。最近は夜空ノムコウを繰り返し聴いてる。全てが思うほど上手くはいかないみたいだ。SMAPもいいとももなくなった世界線にきてしまった。小さな頃の流行がリバイバルしてるのは、それらが完全に過去のものになってノスタルジックなものになってしまったからだ。時代に置いてかれつつある。あれからぼくたちは何かを信じてこれたかな。久しぶりに地元の小さな神社に行きたい。