孤独部の日誌

名古屋とサウナとひとり旅

ひとりドライブして地元に初詣してきた

正月くらい母親に顔を見せに行くことにしたんだけど、解約するか悩んでいたカーシェアがあったので折角だからと夜の6時間パックで借りて車で向かった。車だとものの30分で到着。親とごはんをたべ一通り話をしても21時。まだ3時間あった。

借りる時点でそうなることは予測していて、そのあとはファミレスにでも行って作業をするか、あるいは離れた地元の神社までドライブがてら行くかの二択にしていた。折角だからとドライブすることにした。

名古屋から車で1時間程度だということは、昔地元に住んでいたときに乗せてもらった友人の車の時間感覚を覚えていたのでわかっていた。1時間程度は地元を回れるかな、と期待して出発した。母親はなぜかお菓子や余ったおかずを持たせてくれた。車でよかった。

 

23号線を走らせて昔住んでた地元へ向かう。昔は遠く感じた道のりも、夜だからか、あるいはカーステレオに挿入した思い入れのあるCDから流れる音楽の効果だろうか。とある解散したインディーズバンドの曲を、今でもはっきり全て口ずさむことができた。一人の車内だからとアクセルを踏みながら時折大きな声で歌ってみた。そういえばカラオケにも昨年一回だけ行った覚えがあるだけで、全く行ってない。カラオケに行ってもこの曲は歌えない。一人ドライブっていいな、と思った。

23号バイパスを降りるとかつて通学路だった道がすぐ現れる。記憶を頼りにハンドルをきる。小さい頃時間をかけて歩いた通学路は、車だと一瞬で通り過ぎて余韻に浸るひまもなかった。信号の角にコンビニがあった。こんなところにコンビニはなかった気がする。家の一番近所にあったデイリーヤマザキは潰れていてもうなかった。ポールモールという銘柄のタバコが売っていたコンビニ。もしあそこになかったらきっと吸っていなかったと思う。お世話になった。

元実家には別の人が住んでいて、横を通ると電気がついていた。周囲の田んぼだったはずの場所には家やアパートがいくつも建っていた。当時の同級生が住んでいたマンションも建て替えられていた。

神社と公園は同じようにあった。神社は森のようになっていた木がばっさりなくなって、神社の建物が暗い中でも全体はっきり見えた。風景が変わった。境内へ続く石畳は、小さい頃の記憶より随分狭く短く感じた。正月とはいえ神社には人気がなく、偶然きていた一組以外は会わなかった。ほんの少しだけ懐かしい顔に遭遇することを予感していたけど、杞憂だった。

暗くて見えない中適当に小銭をつまんで賽銭箱に投げ入れた。静かなあたりにチャリンというよりガチャンという音が響き渡ってなんだかバツが悪い。そういえば入るときに一礼しそびれた。未だに作法がわからない。気持ちの問題と思い直して心の中で深く、実際は会釈程度に礼をして手を合わせた。手を合わせた時間は長かったような気がした。それも体感的なもので、1分もじっとしていたような気がするけど実際は5秒程度だったのかもしれない。

元実家の近所をほんの少しぐるりと歩いた。人気のない道を、もうここに住んでるわけでもない人間が歩いているというのは単なる不審者のような気もして気が引けた。それでも思い出の切れ端を拾い集めたかった。公園の遊具。道に立ったときの見慣れた構図。裏のマンションの蛍光灯の灯り。よく夜中にこっそり家を出て買った自販機。まだあった。だからといってどうすることもできないのだけど。

車に乗って今度は最寄駅の前につけた。ここは変わってないような気がしたけど、通過する電車の外装はいつの間にか見慣れないものになっていた。

まだ時間があるので、通学路を辿るように小学校の方面へ向けた。やっぱり車だとあっという間だった。小学校近くの太めの道路沿いの店々もすっかり変わっていた。昔通ったおもちゃ屋も本屋もないのはこっちに住んでた時から知っていたけれど、スーパーも、当時新しくできたはずの回転寿司もなくなっていた。覚えのないコンビニに車を止めて周囲を見渡してるうちに、あそこにはあれがあって、こっちはあのお店で……という具合に記憶が蘇ってきた。もうここはぼくの知っている町ではなくなっていた。

中学校と小学校の前を通過。中は全然見えないのでなんともいえないが、中学校と高校の付近の風景が脳内で交じっていることに気がついた。こんなに思い出って曖昧なのか。そのときは心の内で苦笑、という感じだったけど、じわじわ愕然としてきた。小学校は大きめな遊具が見えて、あああんなのあったなと記憶が蘇った。やはり少し小さく見えた。

まだ時間があるので高校へと向かうことにした。その前に元バイト先の店へ向かった。路地に入ったら道に迷った。当時はここを走っていたはずなのに、全然覚えていない。なんとか抜け出して目的の店の前を通りかかると、外装がきれいになっているようだった。正月だから店はもう営業終了しているようだった。

そこから通学路沿いに高校へ向かおうとしたけれど、全くわからなくなった。カーナビの地図を頼りに最寄駅までなんとか接近したが、ただでさえ覚えてない上に車で通れる道がわからない。道も変わったような気がする。大きく回り道しながら母校へ辿り着いた。

やはりこちらも外からではほとんど見えなかったが、当時あった建物が無くなってすこしひらけているようだった。

予想はしていたけど、いざ来たところでやっぱりなんもなかった。なにか記憶が蘇るというより、記憶がこんなに薄れているということを確認した感じだ。色褪せまくって何が写ってたのかわからない写真を前にしたような感じだろうか。高校の周辺はあんまり変わってないような気がしたけど、こんなだったかどうかも全く思い出せなかった。

キラキラした時間と場所として美化していた風景はただの道だった。思ってたより狭くて、びっくりするほど暗かった。夜だからというのもあるけど、でも夜遅い時間にも受験前とか通っていたはずだ。ここでも愕然とした。

 

そんなことをしているうちに帰路につかねばいけない時間が迫って来た。カーナビに自宅最寄の駅を打ち込んで帰宅しようとした。途中、カーナビを無視して道を一度変えた。そっちじゃない、と思った。カーナビが指し示す道は知らない道だったし、変えた方の道も知らない道だった。知ってる道はもうどこにもなくなっていたのかもしれない。

帰り道は行きとは違う道だった。通ったことが過去にあるのかないのか、覚えのない道。帰りもやっぱりあっという間だった。途中のコンビニでCDを入れ替える。一度目を書き忘れたけど地元に着いてからはGLAY「UNITY,ROOTS,and FAMILY,AWAY」を聴いていた。中学生の頃よく聴いていたCDだ。ノスタルジーとマッチしてすごくよかった。あの頃やりたかったことをやってるような気がしたけど、あの頃想像していたものの方がドラマティックだった。実際は全然ドラマティックじゃない。ドラスティックって感じに変わりすぎていた。

CDを再び入れ替えて好きなバンドのCDを久しぶりに聴く。久しぶりすぎて、あ、こんな曲あったわ、めちゃいい、となった。この道中一番ガツンと来たのはこのCDの中の曲だった。頭の中に今書こうとしてる作品のことがよぎる。そうそう、そのための取材という名目というか言い訳を自分の中に用意していたのだった。でも、実際どう書くのかはおいておいて、やはりこのただただどこまでも個人的な体験・記憶というのは、別に他の誰にもわかってもらえなくていいし、自分の胸の中にだけあればいいなと思った。誰かにシェアしたってしょうがないし、むしろ誰にもわかってほしくない。誰にも渡せないし、渡さない。渡すもんか。これはぼくの、ただぼくという人間だけの、なんの価値もない無価値な、だけど私だけの特別な宝物なんだ。それは煙を閉じ込めようとしたようなただの空箱なんだけど、それでも、それでも。そう言葉で思ったわけではないけど、そんな感じのことを帰りの車中ぼんやり音楽に乗せて思っていた。

やはりカーナビはなぜか思ってたのと違うルートで家まで案内してきた。ナビに従って家路を急ぐ。カーナビを使ってると道のことが全然わからない。それでも無事予定時刻より少し早く帰ってこれた。2,000円程度でこんなたのしいドライブできるんだったら、カーシェアはまだ解約せずに、毎月一回くらいドライブしようかな、とすこし思っている。行くあてなんかどこにもないんだけど。