孤独部の日誌

名古屋とサウナとひとり旅

ご注文はうさぎですか??〜Dear My Sister〜を観たので感想

 

ご注文はうさぎですか??〜Dear My Sister〜を観てきた。

1時間ちょっと位で長さ的にはもっと観たかったけれど、とてもよかった。

 

※以下ネタバレあります

 

 

主人公ココアが実家に帰省する、というところからおはなしははじまり、母と姉の営むパン屋ですごすココアと、ココア不在のラビットハウスの二つの軸で進行する。そして花火大会にあわせてココアが帰ってくる、という表面的には夏の、ちょっと非日常感のある日常。

これによって生まれるエピソードがぐっとくるもので、まずココアサイドの方では、それまでほとんど姿を現さなかった母親が出てくる。

今作の中でも強調される、ココアの夢=お姉ちゃんになりたい、というその正体を垣間みることができた。

憧れのお姉ちゃんとともに帰りを待っていたお母さんは、やはり姉妹に似た、まるで一番上の姉のような雰囲気。お母さんが姉モカの決めポーズ「お姉ちゃんに任せなさい」と同じポーズでお母さんに〜と口にする姿が一度あったが、あの瞬間になるほど、と膝を打った。

妹ココアの憧れである姉モカは、お母さんに憧れているのだ、というのがこのワンシーンから感じられた。

また、父も兄弟も都会に出ている、という話があった。ちょっと不思議な感じがしたが、これはきっと、父に憧れて都会へ出た男兄弟と母に憧れて田舎で暮らす女姉妹という対比として現れた気がする。となると、もしかしたらココアはいつか、実家に帰るのかもしれない。そんなことまで想像させられる。

実家に帰って妹の顔を見せるココアは観客には新鮮に映るが、ココアにとってはもともとがこちらなのだ。「魔法使いになりたい」という幼少の夢が明らかになるが、パン屋さんでパンを焼くというある種魔法のようにも見える行為を、最後の場面で早起きして行うココアはなんだか示唆的な感じもする(深読みしすぎかもしれない)。

とにかく、ココアの内面的原点をこれまでのエピソードの中でも最も感じられるおはなしだった。

 

 

一方のココア不在のラビットハウスの方は、考えるほどなんだか切なくなる。

ココアが来る前のラビットハウスでのチノーリゼの話からはじまり、ココア不在の空気と同時に、"もしもココアがいなかったらどんな風だったのだろう"というのが垣間見える。リゼをお姉ちゃんのように慕うチマメ隊三人。最初の別れのシーンでも終盤の再会のシーンでも真っ先にココアにとびつく千夜ちゃん(それまでのエピソードでも学校での千夜ちゃんはココアと常に一緒にいる。というかココアしか学校の友達いないんじゃないかとさえ映る。実はココアがいないと一番困るのは千夜ちゃんなのだと思う)。

そういえばリゼの立てたチマメ隊のスケジュール、勉強時間が意外と多かったような気がするけど、中三=受験生だからだろうか。さりげなくそのことにも触れていた。

 

過去にリゼとチノを繋いだ、リゼお手製の人形を全員分つくるというのは、深読みするとすごくせつない。

はじめにココアが別れのシーンで「これを私だと思って」と言ってワイルドギース(チノのぬいぐるみ)を渡すが、それが量産されたということ。つまりこれは、"いつかくるみんなの別れ"をほのかに示しているのかも。

それについて決定的だなと感じたのが、最後に花火が打ち上がる中ココアが「思い出を残さなきゃ」というような発言をする。その前の場面でも"思い出づくり"ということが言われている。その台詞はどこまでも明るく前向きに響いたけど、言葉の意味をとれば"未来のために今を残す"という行為を能動的にやってることになる。これはせつない。今までは、"今を楽しむ"という見え方をしていた気がするのだけど、いつかくる未来のためにーーそれは暗に、将来離ればなれになってもーーということをしているような感じがする。本人たちは無意識に見えるのが切ない。

 

大人になっても、という明るい可能性をわずかな出番ながら指し示してくれるのが、タカヒロさんとリゼのお父さんのコンビ(なぜリゼ父がわざと負けたのか一瞬わからなかったけど、あれは娘リゼの追体験と、チノリゼの二人のように仲良しな父親二人ということだと思ったら腑に落ちた)と青山ブルーマウンテン=翠ちゃんと担当さんの先輩後輩で今も飲み交わす仲間、という描写。きっとそれぞれの道を歩んでも、こんな風に皆なかよしなんだろう、という希望をくれた。

 

話がとぶが、ココアが実家に戻って見せる顔、またココア不在になり昔のように戻るラビットハウス、というのは懐かしさ、ノスタルジーを感じさせて誰しもあるだろう経験と重なって、序盤なのに泣きたくなる。今があの頃より未来で、変化(成長)したことに気づかされる場面だ。帰って来たココアに「背伸びたんじゃない?」というようなことばをかけるのは、あるあるであると同時にそんなことを想起させられる。

 

物語は花火大会の一番いいところでエンドロールを迎え、その後ココアの戻ってきた日常で終わる。

きっとファンの人は繰り返し観る人も多いと思うのだけど、物語全体のつくりは、ループすればするほどこれまで書いてきたことに気づかされ、エモくなりそう。

実家に帰る別れのシーンからはじまり、実家での日常/ココアのいない日常がはじまる。そしていつかまた再会するものの、その時間はほんのすこしだけ。それを繰り返すというのは、今後彼女たちに訪れる、それぞれの道を歩む未来を垣間見るような体験だ。最初の別れのシーンがコミカルながらも大げさに描かれているのは、ただのギャグの域に収まらず、いつかくる本当の別れを示唆してるように思う。その後のシーンも然り。

そしてメタ的な視点で見れば、それは一期二期、そして映画と追いかけてきた観客に対するメッセージのようにも見える。共に歩んできた観客にとって"今"だったごちうさが、いよいよ次第に別れの時を迎えるのだ、という……。いや、ぜひ三期やってほしいんだけど。でも徹底して明るい作風のごちうさは、けいおんの終盤(卒業)のような展開は描かないんだろうな。そう思うと、そうできないのにそういう側面を描くということをしているこの映画のおはなしは、ものすごくよくできてると思う。尺がここまで短いのも、余分な要素は徹底的にいれなかった為のように思う。それにしても、最後(かもしれない)のエピソードでほとんどココアがみんなと一緒にいないっていうのは、せつないなぁ……。とても思いきっていて上手い。

 

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特典のミニ色紙。やったー!シャロちゃんだ!シャロちゃん大好き!!

そういえばお泊まりでの髪型、チノちゃんメグちゃんは千夜ちゃんの髪型でマヤが結んでる感じだったと思うんだけど、たぶんあれは高校生組が結んだってことなんだろうか。細かなトコからも背景が読み取れる感じがする。

まだまだ見落としてる気もするので、もう一回観たいな〜。