孤独部の日誌

名古屋とサウナとひとり旅

アナログテレビを処分した

アナログテレビが引き取られていった。
家電リサイクル法と出張費あわせて、5,000円ほどだった。
2012年だったかな、だからもう6年前、芝居の道具として余らせてる出演者から譲ってもらったものだ。当時すでにアナログ放送は終了していたから、アナログテレビはガラクタだった。何型なのかはわからないが、なかなか大きくて重い。
引き取ってうちで遊ばせていたが、別の友人がくれたアナログチューナーを接続して使えるようになった。それまでうちにはテレビがなかった為、アナログテレビだけど現役で使いはじめた。余らせていた椅子(これも芝居の道具の余り)をテレビ台代わりにしていた。
つきが悪くて、スイッチを入れるのにコツがある。主電源スイッチを叩くように、気持ち上向きに押し込むのだ。一発ではなかなかつかないが、何度かやるとついてくれる。
寒い日はつき出しは曇っていて、画面がぼんやりしている。朝、時計代わりにニュース番組にチャンネルを合わせるのだけど、時刻がつけて一分くらいは読み取れない。
5,6年はうちのテレビとして活躍してくれた。テレビをあまり見ないとはいえ、遅い晩ご飯を食べながらEテレ「2355」を観ていたし、早起きを習慣にしようと「0655」を観たときもあった。この年末年始もアナログテレビとすごした。紅白で安室奈美恵もみたし、ゆく年くる年の鐘の音も聴いた。
最近は「月曜から夜ふかし」を毎週のように観ていたし、昨夜もこのアナログテレビで観たばかりだ。
夕方、業者の人がやってきてくれてメーカーを調べ(日立製だった。意識したことなかった)、査定し、その間に若い方の男性が手際よく一人で抱えていった。なかなか重いのにすごい。査定してくれた方のおじさんに料金を渡して、去っていった。5分くらいのできごとだった。
ついさっきまで、一人めんどくさいなと思いながら赤白コードやコンセントを抜いて、玄関まで持ち上げたときの感触を思い出す。ずっしりとしたあの重み。どうもモノに愛着を持ってしまうクセがあるようで、今まで捨てられずにいた。もうない。なくなってから、なくなったことに気づいた。変な感じだ。
そのままになってるテレビ台代わりの椅子の上は、ぽっかりあいている。この部屋ももうあとひと月ほどで退去する予定。テレビ台代わりの椅子を足場に、上にあるエアコンのフィルターを外してなんとなく掃除した。この冬もかなり働いてもらってるが、思ったより汚れていなかった。この部屋に住みだしたときにはついていたエアコン。今も壊れることなくちゃんと動いてくれている。偉い。
部屋は散らかっている。あとひと月で引き払う予定だ。2、3駅離れたところに住む。でも、この近所に来る機会はうんと減るだろう。時期的に、もしかしたらすぐ新しい人が入るのかもな。どうだろう。行きつけになってる近所のコメダでこれを書いてる。ここにも来なくなるだろう。年始に実家近くを一人ドライブしたとき、昔バイトしていたコメダはまだあって、でも改装されたのか心なしかきれいになってた。あのとき一緒に働いてた人はまだ誰か働いてるんだろうか。
やっぱりアナログテレビのことは、きれいさっぱり思い出すことはなくなるんだろうか。なんだか最近、そういうことばかり考えている。長島のホワイトサイクロンもなくなるんだって。思っていたより記憶は曖昧で、どんどん忘れていくようにできてる。歳をとったり、環境が変わったりするのが、そういう理由で最近すこし怖い。