「ゲーム的リアリズムの誕生」を読み終えた
こちらの本を読み終えた。
おもしろかった。
前回のブログでも触れたけど、2007年に出版された本。ライトノベルや美少女ゲームから、"ポストモダン"と呼ばれる現代の「文学」について考察している。
読んで驚いたのは、この10年以上前に書かれた内容が、現在でも充分通用しているように感じられたこと。
たとえば、本の中で取り上げられる作品例のなかで「ループもの」の作品が挙げられている。
その作品は知らなかったのだけど、ループものの有名作「シュタインズ・ゲート」や「まどか☆マギカ」、最新だと「シン・エヴァ」などと照らし合わせてみると、とてもよく似ており、非常に理解しやすい。
また、タイトルにもある"ゲーム的リアリズム"というものも、最近異常に多い「転生モノ」を引き合いに考えてみると、"ゲーム的リアリズム"の一端のなれ果てなのだなと理解できた。
このことから驚かされたのは、この本が出た2007年当時から現在まで、成長こそあるかもしれないが大きく変化はしていないという事実だ。
ここから余談で、他に最近流行ったアニメーーたとえば「けものフレンズ」や現在の「ウマ娘」ーーを自分なりに分析してみる。論旨は応用できそうだ。
「けものフレンズ」は"人類史(科学史)"を、ウマ娘は"競馬の史実"を物語の背景にもっている。
これらは、現実の歴史=「大きな物語」を、小さな物語=アニメの世界観に、解体して映し入れていると考えることができる。
小さな物語の中に「大きな物語」(の断片)を入れ込むことで、作品の中には重層的な構造ができあがる。そうすることでメタ物語的(わかりやすく言えば「考察しがいのある」)おもしろさをつくりだしているのではないだろうか。
単なる史実原作とも違い、いちおう史実に基づきながらもフィクションである、というバランス感覚。
これによって、近代思想を支えた「大きな物語」も、ポストモダンにおいてはデータベースの構成要素のほんの一部分にすぎないことになる。
それは、ひと昔前は「アニメなんて子ども向けのものだ」というような、「現実(=大きな物語)とは比べものにならない小さなもの」だという価値観だったのが、現在では「現実(=大きな物語)もアニメやゲーム(=小さな物語)も等価である」という価値観に移り変わった、ということなどにも表れていると言えないだろうか。
事実、SNSの発展によって、またオタク・サブカル文化のメジャー化によって、社会的にもアニメやゲームといったフィクションの存在感はどんどん増しているように思う。
このことから、2007年にかかれたこの本の内容は、2021年の現在ではかなり成熟したといえるのではないだろうか。
そうなると、この先まだまだ成熟する余地はあるのか、それとも新たなパラダイムシフトが起きるのか。
ここ10年くらい停滞感を感じていたので、新しいパラダイムの発生に期待したいというのが、個人的な展望だ。
こちらの本もあらためて読み返してみようと思う。