孤独部の日誌

名古屋とサウナとひとり旅

「忘れてた大切な何かにやさしい火が灯る」

Facebookをひらいたら、「知り合いですか?」の欄に学生劇団時代の先輩の名前が出てきた。びっくりした。消息不明だった先輩。

投稿は全くないけど、一件だけタグづけされた写真には舞台の情報が書いてあったので、いまももしかしたらやってるのかもしれない。すこし嬉しくなった。

 

日栄をふらふらしていたときに、高校の後輩らしき子とすれ違った。もう何年も(たぶん10年近く経つ)会っていないから、本人なのか似ている人だったのか定かではない。けど、ぱっと一瞬見た瞬間、わっと記憶の彼方からその子のことを思い出したから、きっと本人だったんだと思う。

その子は高校の頃仲の良かった女の子で、卒業してからも会ったりしていた。当時はもうケータイを持っていたけれど、卒業してからしばらく文通をしていた。けれど次第にぼくがかかなくなり、気づいたら止めてしまっていた。それから会っていない(もしかしたら同窓会的なときに会ってたかもしれないが)。

その子はすれ違ったとき、男の子といた。年齢的に全然おかしくないことなので、ああよかった、という思いを抱いた。あの子も彼氏がいて、このまちにいるんだな。不思議な気分だった。

 

こんな時代だけど、Facebookとかで繋がってないひとのことは全く何してるか知らない。Facebookで繋がってても、みんな意外と更新しないから、実際全然知らない。その気になればいつでも連絡とれるのかもしれないけど、その気になることなんてないので、取ることはない。

高校の同級生との年末年始の集まりもやらなくなった(もしかしたらぼくが行ってないだけかもしれない)。地元の近所だった友だちとも会わなくなった(実家がなくなったから帰ることもないので当然といえば当然)。

 

後ろを振り返っても過去を懐かしむことしかできないので、会いたいとはほとんど全く思わない。たぶん一時間で飽きる。

けど、ちょっと答え合わせみたいに、会ってみたい人もいるかも。あの子に文通止めてごめんね、とだけは言いたい気もする。

 

 

 

 最近、思い出したようにGLAYを聴いてる。中学生の頃めちゃ聴いてた。

この歳になってじんとくる言葉がいっぱいある。当時は想像でしか理解できなかった、未来の言葉だったけど、今は振り返った先にある過去のことを指してるように感じるようになった。憧れていた頃のGLAYメンバーの歳を、自分が追い越しつつある。