孤独部の日誌

名古屋とサウナとひとり旅

音楽を聴くために散歩した

スマホに昔よく聴いた音楽を入れた。

みんなやってることなのかもしれないけど、ぼくのスマホには音楽がほとんど入ってなかった。

学生の頃にメインで使っていたパソコンが起動しなくなってしまって、それまで貯めた音楽データは封印されてしまった。中高生くらいの頃はMD全盛期だったので、あの頃は何度も聴いた曲ももう手元にすらなかったりする。CDも引っ越しのときに弟に譲ったりしたため、手元に残ってるのは思い入れのある一部と、あとここ数年で手に入れたCD。ここ数年のは、ほとんどがライブハウスで手に入れたものや、その関連のものばかりだ。それと、なぜか未だに中学生くらいの頃に焼いたCD-Rは何枚か残っている。不思議。

思い入れのあるCDを何枚かパソコンに取り込み直し、スマホに移した。スマホも何度か買い替える中で、以前は入れてたのにもう入れなくなってた曲とかがいっぱいある。もっとも、もう古いスマホはぶっ壊れてしまって何が入ってたかを確認することもできない。

 

久しぶりにスマホに音楽を入れたものの、通勤時間もそれほどかからないぼくは、学生の頃のように音楽を聴く時間がない。ということに今更気づいた。そうだ。学生の頃は通学途中にずっとイヤホンをはめて聴いていたのだ。勉強中だって聴いていた。だからあんなに音楽が好きだったのかもしれない。今だって部屋でBGMにかけたり、なにかのきっかけで知った気になるアーティストの新曲をYoutubeでチェックしたりはする。でも、手元にないからむやみにリピート再生する、って機会はうんと減った。じっくり聴く、という感じはなくなった。部屋でかけてるときは何かのついでだし、Youtubeでチェックするのは聴くっていうより見るに近い。音楽の聴き方が、学生の頃、10年前の頃とはだいぶ違ってきた。ということに、社会問題的に考えることはあっても、自分のこととして振り返ったことはなかったかもしれない。ショック。

 

椎名林檎の初期のアルバムや、GLAY。あと学生の頃に好んで聴いたインディーズバンドなど。今はメジャーのあのアーティストのデビュー前の曲とか。そういう、これまで何十回何百回と聴いたであろう曲をスマホに入れた。

 

意識的に、聴く時間をつくるために、ちょっと歩いたところにある喫茶店まで歩いていった。帰ってきてからもっと聴きたくなって、近所を散歩した。そうだ。自分にとって音楽を聴くというのは、ライブハウスでもコンサートでもTVでもYoutubeでもなくて、ウォークマンに入れて付属のイヤホン程度のもので聴いた、決して上質でない音質であろうものだった。いつぞやのiPhoneについてきた白イヤホンを使って、いま使ってるAndroidスマホの音楽を聴く。ほんと便利になったなぁ、これケータイだもんな。

 

歩いてみるとスマホもけっこうじゃまで、iPod shuffleみたいな小さいプレーヤーがほしくなった。最近だったら安くあるのかな。買おうかな。

 

【MA-8564】APOD MP3 / MP3プレイヤー

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 こういうの。これ、格安だけど使えるの?

 

思い出深い音楽が手元にあるとそればっかり聴いてしまいそう。歳を重ねて音楽を聴かなくなるっていうのは、じぶんの中のCD棚に入る分量分で充分ってことなのかもな、なんて思う。長くやってるアーティストはきっと、学生の頃から連れ添うようにそばにある音楽なんだと思う。ずっと続けていてほしい。