孤独部の日誌

名古屋とサウナとひとり旅

記憶が薄れてきてる

最近、意識的にも無意識的にも昔のことを思い出そうとしようとすることが多い。だけどぜんぜん思い出せない。

たとえば今期やってる大好きなアニメ「Just Because!」を見ながら、最初の頃はノスタルジックな気分になり、"ああ、高校生のときの感じ、こういうのあったなぁ…"みたいなことを思おうとするんだけど、具体的なエピソードが出てこなくなってきていて、おそらく記憶からデリートされつつある。

確実にあったはずの時間なのにもうどこにも記録も記憶も残っていないことが多すぎて、本当にあの時間はあったのだろうか、という気がしてくる。

覚えていることにしても、エピソードとしてことばにした瞬間にそれは心のうちにある温度感とかとはかけ離れていく感じもする。そのままそれを保存するということはできなくて、そして書き出したそばから元のデータ(つまり心のうちにある実感のようなもの)はだんだん薄れていってしまう気がする。吐き出した現在の文字列やアウトプットしたものに上書かれてしまうのか、あるいはアウトプットしたことで用済みとなって消えてしまうのか。

そのことをしばらくせつなく感じていたのだけど(たぶん)、だんだんせつないと思う感情も薄らいできていて、サルベージできなくなって役立たずになった昔のノートパソコンみたいに冷たく横たわっている感じがする。まだあるだけマシで、たぶんそのうち本当に跡形もなく消えてしまうんじゃないかと思う。

だからか思い出すということが怖くなりつつある。思い出せば出すほど消滅していく気がする。Just Because!は変わらずたのしんでいるのだけど、もう自分の思い出とまぜこぜになったノスタルジーみたいな楽しみ方からは遠のいてきている。せつない。

 

今年で30になるけど、そんな感じで過去30年の記憶はぽろぽろと手からこぼれていってる感じで、ものすごく歯抜けになってる感じで、じぶんの中に積み重なっていってるものがない。技術や成長的な積み重ねも昔から苦手でできてない人間だとは思っていたけれど、思い出・記憶というかけがえのないじぶんだけの宝物も堆積することなく、こんなにあっさり失ってしまうものなのかとこの歳になって気づいた。記憶力が落ちてるのかな。ある種のぼけがもうはじまっているのかもしれない。

何の役にも立たなくてもじぶんの思い出くらいは大切にしたいと思っていたようだけど、それもぼろぼろ失ってしまってどうしよう。もうほんとうに空っぽになってしまうような気がしてくる。底の抜けた鍋のような。物入れにも使えない役立たずの鍋である。こんなことを思うのは年の瀬になってきたからだろうか。