孤独部の日誌

名古屋とサウナとひとり旅

日記

会わなくなったひとはたくさんいるけど、そのうち生きてる人とそうでない人との違いはなんだろう、ということをこの時期になると考える。

会わなくなっても風の便りで(具体的にはSNSとかで)近況がぼんやりと入ってくる人もいて、そういう人は「ああ、元気でやっているんだ」と思うことができる。

けど、そうでない人もたくさんいる。でも不思議と「きっとどこかで元気にやっているんだろうな」と想像すると、相応に歳をとった姿が、ものすごーくもやのかかった感じで脳裏に浮かぶ。

亡くなってしまった人というのはなんだか変な感じで、そこで時間が止まってしまって、歳をとらなくなってしまう。思い出そうとすると、もう歳をとらないからか、ほんのすこしの差だけど、もやが薄いような気がする。

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名駅や栄みたいな人の多いところの、ちょっと人混みから外れた辺を歩いてるときなんかに、ふと知り合いかも?みたいな人とすれ違うことがある。でも大抵は人違いだ。もしも仮にその本人だったとしても、そんなすれ違うときにお互い気づいて声をかける、みたいなことはなかなかないだろう。

亡くなった人に関しては、こういうことはあまり起きない。"そういえばあの人はもうこの世にいないんだった"と思い直すので、"もしかすると本人かも"ということがないからだろう。

 

話は飛ぶけど、この映画もう一回観たい気持ちになってる。夏だな。