孤独部の日誌

名古屋とサウナとひとり旅

石原さとみをみて、「ぼくは勉強ができない」の山野舞子みたいだなと思った

 中高のときにむちゃくちゃ読み返してた本。

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

 

 山田詠美「ぼくは勉強ができない」。

ブックオフでタイトルにひかれてなんとなく買ったのが最初。あまり読書するタイプではなかったんだけど、この小説はめちゃくちゃ読み返した。ボロボロになって買い直した憶えがある。それも今はもうボロボロ。

話を覚えるほどに読み返していたので、今でもふとした瞬間に印象的な一文が思い出されることがある。今日もそう。TVに映る石原さとみをじっとみて、「手を抜いてないなあ」とつぶやいてしまった。短編(短編集なのです)「賢者の皮むき」に出てくる山野舞子をみて、主人公・時田秀美くんがぽつりとつぶやいてしまう台詞である。

 

石原さとみは、歌番組の曲間に出てきて、なにやらちょっと話を振られていた。最近記憶にある映像だと「シン・ゴジラ」で見たくらいで、ただの(?)“石原さとみ”としての姿を見るのはとても久しぶりか、あるいははじめてだったかもしれない。

時間としてはほんの1,2分なんだけど、いちいち手を抜いてなかった。マイクをたどたどしく持つ姿は「慣れてませんよ」のアピールをさり気なくしていたし(悪い感じではない、むしろ好感がもてる塩梅だ)、話しているときの笑顔と、ふとした瞬間にカメラをちらりと見たときの絶妙な表情、そしてほんのすこし気を緩ませた(ように見える)ふとした瞬間。一瞬たりとも気を抜いてなくて、ほんの数十秒の映っている時間の中で存分に「演技」していたように受け取った。すごい。全然いやな感じではないのだ。あくまで自然体。まさにプロだ。「手を抜いてないなあ」思わず口に出してつぶやいてしまった。

 

秀美くんは山野舞子に対して嫌悪感を感じるのだけれど、ぼくはこういうとき、全然いやな感じはしない。昔はしていたのかな。秀美くんのおかあさんが言ってたように、自分も大人になったんだろうか。はたして。久しぶりに読み返してみようと思った。

 

(余談だけど、この石原さとみを見たときに、最近知り合ったひとに似ているなあと思った。顔の造形とかではない。この“手の抜いてなさ”。その絶え間ない努力すらひた隠し、表に出さないわけだから、見事だ。ほんとうにすごいなと思う。)

 

 

放課後の音符(キイノート) (新潮文庫)

放課後の音符(キイノート) (新潮文庫)

 

 そういえば、はじめて山田詠美を知ったのは、中学生くらいのときに教育実習にきてた女の先生(つまり今思えば女子大生だったのだ)がオススメしてたからだった。今思うとすごいひとだ。あのひとは今どこでなにしてるのだろう。どこかで教師をしているのだろうか。