孤独部の日誌

名古屋とサウナとひとり旅

雑誌を買ったり、稽古をしたり。

先日観た、マームとジプシー「書を捨てよ町へ出よう」の上演台本が載ってるということで、こちらを思わず買った。

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巻頭カラーに大森靖子さんが載っていた。
 
 
パラパラと台本のところをめくりながら、そうそうそんな台詞だったな、とか、こんなこと言ってたっけな?なんて思ったり。ぼくは芝居でも映画でもなんでも、実はあまりよく見てないんじゃないかと思うことがある。
 
一緒に観たひとと感想なんかを言い合ったりしていると、そんなところあったっけ?となることがままあったりして、みんなほんとよく見ているなぁ、なんて思ったりする。
 
ライブのときに特によく思うことなんだけど、ぼくは全体の流れというものにあまり関心がなく(全くないわけじゃないけど)、その全体のうち一ヶ所でもガツンと胸に残ることがあれば、それだけでも充分だと感じるタイプだ。それは上手い下手とはちょっと違うところだったりする。下手でもグッとくるものはあるし、上手くてもグッとこないものもある。(まぁ、上手い方がグッとくる打率は高い)
 
 
青柳いづみさんの文章がこれに載っていた。これがとてもよかった。「cocoon」のときに買った本の中にも青柳さんが書かれたと思われる文章が載っていて、それもよかった。
俳優さんがあんなふうに文章を書くというのはなんだか異例のような気もするのだけど、なるほどその人となりというか、もっといえば思想・世界観を感じられて、「だからああなるのかもな」となんとなく納得する。(あと比べてもしょうがないのだけれど、嫉妬も覚える)
 
おもしろい人は何をやっても大抵おもしろい。自分好みな音を出すバンドマンのブログはおもしろいと感じるし、人柄から興味をもってその人の作品を観たりすると、好みどストライクだったことがこれまで何度もある。作品=作家ではないという話があったりするけれど、やっぱり少なからずその人の人格と作品の根幹には関連があるようにぼくには思える。
 
 
今は2/20に上演する太宰治の戯曲「冬の花火」に取り組んでいる。不思議なもので昨年秋の「女生徒」に続き、連続して太宰治の作品を扱っている。今回は半ば偶然当たったので、縁の流れが来ているように感じる。
 
おそらく今の自分に何か合うものがあるのだろうと思う。今日も稽古中に「なるほど」と感じる瞬間があった。

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写真は稽古後に談笑する出演メンバー。
 
声をかけたメンバーも、引き寄せる何かがあったのだろうと毎作品思う。同学年の真臼ねづみさんに今回出演してもらうのだけど、オファーのとき話したこと――これからどうしようと考えてるだとか、周囲の環境に思うこととか――でぼくとも共通項があったり、今回取り組む「冬の花火」に描かれてる事柄にリンクする部分があったり。
 
 
最近ハマっている「魔法陣グルグル」の中で、「勇者に必要なのは運」という言葉に主人公ニケくんがうんうんとうなづく場面があった。ほんとそうだよな、と思う。運があるかないかというより、運が来ていることに気づけるかどうかなんじゃないかと思う。タイミング。漫画みたいにうまく行くことなんてないと思ってしまいがちだけど、日常意外とタイミングよく“上手くいってること”というのはあったりする。そんなことを感じることの多い最近です。

 

文學界2016年3月号

文學界2016年3月号

 
 
買ったのはこれ。