孤独部の日誌

名古屋とサウナとひとり旅

シン・エヴァンゲリオン劇場版の感想

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シン・エヴァンゲリオン劇場版を初日に観てきた。

2時間半もあるので途中でトイレ行きたくなるんじゃないかと思って出口最寄りの席を抑えたけど、幸い最後まで席を立つことなく観ることができた。

平日日中から観たので、そのあとごはんでも食べつつどこか寄って帰ろうと思っていたけど、なんとなく昼飯も食べずにひたすら歩いて帰路についた。

直前に観直した序破Qの感想はこちら。

以下、ネタバレありの感想です。感想というか、書いて整理する文章になりそう。

 

第3村がよかった

Qの終わりで歩きだしたアスカ・シンジ・アヤナミの3人がたどり着いたのが「第3村」。

ここで、トウジやケンスケ、委員長らと再会する。14年後の、大人になった彼らの姿には嬉しさと同時に時の流れをひしひしと感じた。

この村の様子が、まさに戦時中の雰囲気といった感じ。ここにきて昭和的な風景が登場したことに驚いた。が、田植えをするおばちゃんらや村の光景の端々に、力強く生きていく人間を感じ取ることができる。

エヴァがただの"セカイ系"ではなくて、社会的なメッセージを内包しているのを感じた。作品も"大人"になったのだろう。

アヤナミの変化と名前

アヤナミ(アスカ曰く"初期ロット")は、第3村での人々との交流の中で、どんどん自我が育っていく。

「おやすみ」「おはよう」「ありがとう」「さよなら」の挨拶、「ネコ」「赤ちゃん」「かわいい」という今まで知らなかったもの、「仕事」「服」「落とし物を返す」などなど。

そしてシンジにカセットプレーヤーを返したり、「名前をつけて」と言う。

前の"綾波レイ"とも違う、自分の感情を見つけていくさまはもっと見ていたかった。

シンジの変化

第3村に来てから、無口で固く閉ざしているシンジ。そんな彼の変化は、アヤナミが持ってきてくれたレーションを、ひとり食べるところだった。

「生きる」という方向へ舵を切る瞬間が"食べる"という行為で描かれている。エヴァはこれまでにも食事について時々触れていた。シンプルながら力強い描写だ。

ミサト・加持の子どもの存在

ゲンドウ・シンジ親子と対比のようにミサト・加持とその子どもが描かれる。

シン・エヴァでの新たな要素だが、親子についてより厚く描く作品になっている。

間接的ながら、また加持さんが登場したこと、ミサトさんがより一層深みのあるキャラクターとなっていてぐっときた。

シンジは愛されているなぁ!

再びエヴァに乗ることを進言するシンジの場面直後、銃を向けられるシンジ。

そこで語られることからわかるのが、"シンジ自身も辛いからエヴァに乗せたくない"という周りの人の気持ちだ。

Qではひどい扱いだったシンジくん、本当はみんな複雑な思いの中で彼に接していたのだ(Qでもよくよく観るとそうだと分かる)。愛されているがゆえの対応だったのだ。

それにしてもシンジくん、皆からとても愛されている。すごい。

ゲンドウの語り

シン・エヴァはかなりわかりやすくしようと試みているのが感じられた。

ゲンドウはシンジとの対話のなかで、自身の考えをこれまでになく赤裸々に語っている。

これは勝手な想像だけれど、ゲンドウのことばは庵野監督自身の代弁のようにも思えた。

さようなら、すべてのエヴァンゲリオン

このキャッチコピーが予告編で出たときからそうだろうなとは思っていたが、シン・エヴァは旧劇版も含めた一連の「エヴァンゲリオン」を終わらせる作品だった。

シン・エヴァでは旧劇版(アニメ・映画とも)の手法や絵を取り入れつつ、メタ的に"舞台から降りていく"様子を描いた。

旧劇版では暴力的ともいえる強引さだったが、シン・エヴァではなかなか丁寧に取り組んでいたのではないだろうか。

ラストの、宇部新川駅(実写)の中にキャラクターがいる様子は、エヴァの物語から脱却し、"エヴァのない世界"となった現実への橋渡しと感じた。

(ちなみに、宇部新川駅山口県の駅。庵野監督の故郷だそうだ)

エヴァらしい幕引きでありながらも、しっかりと落としどころに落とし込んできたという印象を受けた。

感想

本当にこれでエヴァンゲリオンは終わりなのだな、と観終わって思った。

観ている間は2時間半もあるのに集中して観ることができ、終わったあとで尻の痛さに気づいた。それくらい夢中でのめり込めた。

観終わったから振り返ると、まぁそうだよな、こう終わるよな、という感想。

ここまでの流れと完結編であることを考えると、妥当で概ね丁寧な幕引きだったな、と思う。

延期に延期を重ねて、自分もすっかり歳をとってしまった。もうここから先は、エヴァンゲリオンのない世界なんだな。序が公開されたときや、その後上映予定が延期されていくときは、生きてるうちに最後まで観れるのかな、観れないかもな、とか思っていたけど、無事最後まで観てしまった。

満足感以上に、寂しさも感じている。

それにしても、思った以上にシン・エヴァは大人な物語だった。シンジくん以上にゲンドウに(あるいはもしかしたら加持やミサトに)感情移入した人も多いだろう。

(ぼくはやっぱりシンジくんに感情移入してしまうが、それでも昔ほどではなくなった気がする)

時を経て、作品自体が大人になったのを感じた。そしてわたしたち観客も、いつのまにか大人になったのだ。