シン・エヴァンゲリオン劇場版を公開初日に観てきた。
観た直後の感想はこちら
観てから1週間ほど経って、脳内が整理されてきた。
あらたに思うことがあったので書き出しておこうと思う。
わりとネガティヴな意見になるので、読まれる方は、その点ご了承のうえ読んでいただけたらと思います。
※ネタバレありなので注意
エンタメ作品として、すごく出来がよかった
一連のエヴァシリーズという「エンタメ」の最終章として、非常によくまとまっていたと思う。
新劇場版としての流れだけでなく、旧劇版を彷彿させるシーンを折り込み、これまでの"すべてのエヴァンゲリオン"を完結させに行った。
それは細部まで及んでいて、例えばこれまでの新劇場版では出番の少なかった、トウジ・ケンスケも活躍する。
ケンスケのサバイバル好きという設定が見事に生き、トウジが医者というのも妹の入院があったからだろう。細かいところまでよく回収されているのは、さすがあの「シン・ゴジラ」をつくった庵野監督だ。
だが、果たしてこの終わり方で本当によかったんだろうか?とすこしだけ疑念がわいてきた。
前半の"戦争モノ"パート
前半の「第三村」の描写は、まさに戦時中といった様子が描かれる。
劇場で見たときは、これまでのエヴァでは見たことない光景が広がっていて、その振り幅の広さに思わず唸りたくなった。とてもよいパートだったと感じた。
思い出されるのが、庵野監督が声優をつとめた「風立ちぬ」。あれも戦時中の話だった。2013年公開であったことを考えると、シン・エヴァの第三村パートの着想に「風立ちぬ」があったと推測できる。
第三村で心を閉ざしていたシンジくんが心境変化する場面は、アヤナミが差し入れたレーションを貪り食べるシーン。食べないと死ぬ状況下でのあのカットは、「生きねば」という言葉が聞こえてきそうだ。
風立ちぬのキャッチコピーは「生きねば」だった。
「風立ちぬ」を引用しなくとも、戦時中の厳しい状況にある人々を描くことで、生の希望をメッセージとする作品は多い。
近年の作品だと、シン・ゴジラと同時期に大ヒットした「この世界の片隅に」(2016年公開)が挙げられるだろう。
"戦争モノ"から得られるメッセージとしては、オーソドックスな結論といえるだろう。
後半の"ループもの"パート
後半は、シンジくんと碇ゲンドウとの戦い(対話)が繰り広げられる。"マイナス宇宙"での心象描写によって、旧劇を含むこれまでの"エヴァンゲリオン"が回収されていく。
最終的に、実写の宇部新川駅に、スーツを着たシンジくんとマリがいる。
シンジくんが望み、つくられた世界がこの「現実=エヴァンゲリオンのない世界」ということだと解釈した。
ということを理解したとき、「ん?こういう話、前にも見たことあるな?」と思った。
「魔法少女まどか☆マギカ」(2011年公開)だ。
一連のエヴァシリーズがループものであったとすると、その構造はまどかマギカにとてもよく似ている。
主人公(シンジ/まどか)はそれぞれ「エヴァに乗れ/乗るな」「魔法少女になれ/なるな」と言われながら物語が進行し、最終的にはどちらも"世界の理を書き換える力"を手に入れ、その力で新しい世界を解としてつくりだす。
シン・エヴァがたどり着いた結末は、すでにまどかマギカで観たことのあるものだった。
「エヴァンゲリオン新劇場版」は最初、2008年には完結する予定だった。もし最初の予定通りに同様の作品を発表できていれば、まどかマギカよりも先駆だったのだが、残念ながらまどかマギカ公開から数えても10年経っている。
ずっと待ちわびた結末は、すでに10年前にやられていたと言えるだろう。
20年以上経った現代に通用するのか
シン・エヴァを観る直前に、エヴァ序破Qを通してみたとき「シンジくんは、まるでブラック企業に就職しちゃった新卒みたいだな」と思った。
アニメ〜旧劇版の公開は、1995〜1998年。エヴァはもともと、当時の若者の間でヒットした。
90年代といえばバブル崩壊後で、当時の若者は「ロスジェネ世代」と呼ばれる。現在の40代あたりだ。
バブルが崩壊し、長い不景気に入った日本を生きる若者の目に、理不尽な大人たちに「大人になれ」と言われ振り回されるシンジくんの姿が、共感を呼んだことは想像に難くない。
有名なシンジくんの台詞「逃げちゃダメだ」という葛藤は、バブル崩壊後の社会に向かわなければならない当時の若者の気持ちに、シンクロする部分があっただろう。
それから日本社会も20年の時を経た。当時と社会情勢は緩やかながら変わっており、たとえば当時はまだ言葉もなかった「パワハラ・モラハラ」も、社会問題として認識されるようになってきている。
そんな現代で、結局戦時中の辛さ(≒昭和的価値観)を引き合いに出した"逃げるな、歯を食いしばって生きろ"というメッセージは、果たしてどう響くのだろうか?若干、時代錯誤な気がする。
これが90年代(平成初期)はまだ通用した。しかしあれから20年、年号も平成から令和に変わってすっかり過去になったはずの、昭和的価値観が見え隠れするような気がしている。
(余談だが、エヴァQが公開された2012年頃、当時はリーマンショック後の不況で就職難と言われていた。私事だが自分も就職に関して苦い思いをして、そんなときに観たエヴァQのシンジくんに、自分を重ねていた節があったように思う。だからこそ、シン・エヴァでのシンジくんの前の向き方が、結局は根性論じみたものに感じてしまった。そんな個人的なことも捉え方に影響していると思う)
新作としては目新しさはない
シン・エヴァは蓋を開けてみれば「戦争モノ+ループもの」の構造をしている。
どちらもエヴァ公開を待っていた2010年代のうちにも、充分やられている題材だ。
そして、作品が内包しているメッセージも、すくなくとも以上の解釈だと「昭和的価値観」だと目に映った。
以上のことから、シン・エヴァ(一連のエヴァ新劇場版)は、新作としては目新しさがなかった、と解釈することができるだろう。
もちろん、同じ題材をやってはいけないなんてことはない。ないのだけれど、長く待ち続けるうちに膨れ上がった期待は、「新しいものを見せてくれるだろう」という勝手な妄想に変わっていた。
終わってみれば、エヴァンゲリオンは90年代に生まれ、20年以上の時を経て"大人になった(なってしまった)"作品だと思った。
ラストの、声変わりして大人になってしまったシンジくんが、その現実をありありと見せつけてくるようだ。
エヴァQのシンジくんに自分を重ねてしまうぼくには、大人になったシンジくんのような強さがまだ足りないのかもしれない。